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【古典DVD傑作選(4)】 問答無用の傑作ヒューマン・ドラマ、ダグラス・サーク『わたしの願い』<下> 冴えわたる演出とカメラ!

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 今回は、ダグラス・サーク『わたしの願い』論の続編として、本作の演出のいくつかのポイントを、ルビッチ『私の殺した男』論(5月8日付本欄)と同じく、断章形式でややディープにメモしてみたい。

*序盤、ナオミ・マードック(バーバラ・スタンウィック)が故郷の家に帰り着く場面は、ジョン・フォードの傑作『捜索者』(1956)の、ジョン・ウェインが荒野の彼方から帰還するオープニングとならんで、映画史上もっとも美しい帰郷/カミング・ホームのシーンだといえようが、そこで重要な役割を果たすのが<窓>である。

 表情をいくぶん緊張させて家の戸口に近づいていくナオミ。彼女の視線に重なるように前進するカメラがとらえるのは、室内が丸見えの無防備な、不自然なほど大きなマードック家の窓ガラスだ(その家の外観は、そのように設計されているせいで、全体がガラス張りのようにも見える)。だが、われわれ観客はそれを不自然だなどと感じる余裕はなく、ナオミの目と一体化して、楽しげに食卓を囲んでいる家族らの姿を、その大きな窓ガラスごしに覗き見て、心をざわつかせる……。

 サークは撮影現場でしばしば、「何か枠になるものが欲しいな」と口にしたというが、じっさい彼の映画では、窓、ドア、鏡、衝立(ついたて)といった、<空間を枠どる=区切るもの>が繰り返し現れる。サークはいわば、スクリーンという枠のなかに、もう一つの枠を置くことを偏愛したのだが、これはルビッチ、フォード、フリッツ・ラング、ジャック・ターナー、ロバート・シオドマーク……などなどのハリウッド古典期の名匠たちに共通する空間造形である。なお、窓と鏡が最も印象的、かつ効果的に使われるサーク映画は、前記『悲しみは空の彼方に』だ。

*映画や演劇という「模倣芸術」、ひいてはショー・ビジネスの世界は、サークにおいて特別の(相反する二重の)意味をもつ。が、それについても、ずばり「模倣の人生 IMITATION OF LIFE」という原題をもつ『悲しみは空の彼方』を論じるさいに詳述するとして、ここでは、『わたしの願い』における<演劇>のモチーフが、次女リリーが主演する劇中劇(高校の学芸会)や、舞台をめぐるナオミの葛藤ばかりでなく、日常生活のシーンの舞台空間化として表れる点に注目しておこう。

 すなわち本作では、一階の広いリビングの奥に、ニ階への階段がしつらえられたマードック家の室内そのものが、演劇の舞台のように活用されるのだ。とりわけ印象的なのが、リリーが階段を慌ただしく一気に駆け上がったり、二階の廊下の手すりから身を乗り出したりして動き回るところだ。いわゆるアクション・シーンではない、家族が言葉をかわすメロドラマティックな場面でも、役者に身体の素早いアクションを振り付けて画面に躍動感を生む、じつに見事な演出である。

*前述のように本作には、ナオミとダッチの「不倫」をめぐる噂の流布というかたちで、

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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