メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

『キリマンジャロの雪』、新聞各紙の映画評に疑問

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

 先週末に始まった映画『キリマンジャロの雪』の新聞各紙の映画評を見て、この文章を書きたくなった。ちょっと違う、と思ったからだ。私が新聞評で一番信頼を置く「日経」では、映画評論家の村山匡一郎氏が「南仏を舞台に、そんな善意と信頼にあふれたカップルを主人公に、生きることの素晴らしさを改めて見つめ直したフランス映画である」。「毎日」では鈴木隆記者が「日々に追われ他人のことなど構っていられない時代に、労働者階級の気概と寛容の美しさを問いかける作品だ」。

 確かにチラシには中年夫婦の幸せそうなスチールが使われ、「マルセイユを舞台にした、ある夫婦の心あたたまる物語」と書かれている。東京の上映館、岩波ホールにぴったりの映画に見える。

 映画を見始めて、30分くらいまではまさにそうだった。労働組合の会合で、くじで解雇者を決めるところから映画は始まる。会社との協議の結果だろう。定年少し手前の組合委員長のミシェルは自分を例外とせず、くじに当たってしまう。失業者となったミシェルは、結婚30周年のパーティを開き、自分以外の19名の失業者も招待する。そして子供たちからキリマンジャロ行きの往復チケットがプレゼントされる。映画のチラシに使われているのは、まさにその時に嬉し涙を流す夫婦の姿だ。

 ところが映画はそこから思わぬ方向に展開する。まず、妻の妹夫妻と夕食会の最中に強盗に襲われ、旅行券や現金を奪われる。ミシェルは

・・・ログインして読む
(残り:約1659文字/本文:約2261文字)