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『きっとここが帰る場所』は「われらの世代」の映画だ

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

 久しぶりに「われらの世代」の映画を見た気がした。6月30日公開の『きっとここが帰る場所』のことだ。「われらの世代」とは、ミニシアターが流行り出した1980年代から90年代を通じて、多少無理してハイブローな文化や芸術を楽しんだ、現在40代や50代のことだ。

 この映画には、ある程度の長さを生きて、人生の浮き沈みを経験していないとわからない何かがある。同時に、かつて浴びるほど映画を見た人にはわかる、映画らしさが詰まっている。

 主人公のショーン・ペンは、アメリカ出身の元ロック歌手シャイアン役で、今は引退して妻とダブリンに住む。映画は彼がメイクをするシーンで始まる。ぼさぼさに立った長髪で、赤い口紅に濃いアイシャドーに青い目。そしてキャリーバッグを持ってヨタヨタとゆっくり歩き、時おり垂れ下がる髪を「ひゅっー」と口の端から風を送って払う。とてもショーン・ペンとは思えないが、不思議な寂しさと優しさが伝わってくる。

 前半は、彼がダブリンの街で買い物をしたり、株の売買をしたり、妻と食事をしたりするシーンが淡々と続く。彼は一応知られていて、突然携帯電話で写真を撮られたり、自分の音楽をプロデュースしてくれと若者に頼まれたりもする。その一人一人にシャイアンは驚きながらも、丁寧にまっとうに答える。とりわけロック少女のメアリーとは心が通じ合っている。

 既に余生を送っているようなシャイアンが変貌するのは、父が危篤になったと知らせを受けてからだ。船で(!)ニューヨークに行くが、当然父は亡くなっている。それから父が残した日記をもとに、ユダヤ人収容キャンプにいた父がいつか殺したいと考えていた元ナチ隊員を探す旅に出る。

 手がかりを求めて、ニューヨークからミシガン州やニューメキシコ州を旅しながら、ナチ隊員の娘や孫に出会う。その出会いがまたいい。特に

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