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スペインの異才、ホセ・ルイス・ゲリンの特集上映、ついに開催!(下)――映画祭でラインナップされた、その他7本の作品について 

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

■『べルタのモチーフ』(1983)

 “幻の処女作”と呼ばれていたゲリンの長篇第1作だが、ともかく一つひとつの映像の、研ぎすまされたような精度が凄い。「映像美」だの「映像詩」といったヤワな言葉は、この映画の前であっけなく消滅する。

 画面いっぱいに広がる西部劇的な草原。その、風になびく麦の穂がなだらかな襞(ひだ)を描く空間を、縫うように曲がりくねって地平線まで続く一本道。くだんの道を自転車で行く少女のロングショット。そして、父の農作業を手伝うその無口な少女・べルタが、奇妙な帽子をかぶった男と出会うあたりから、かすかに不穏さが画面に漂いはじめ、思春期の彼女の心が揺らぎだす。――やがて、街から撮影隊が一人の女優と共にやってくるが、彼女にふんするのは、エリック・ロメールの『海辺のポーリーヌ』(1983)、『木と市長と文化会館/または七つの偶然』(1992)などを、その美貌で輝かせたアリエル・ドンバール(彼女はくっきりと切れ上がった目と、みごとなプロポーションがとりわけ魅力的だ)。

■『イニスフリー』(1990)

 映画史上最高の映画作家、ジョン・フォードの傑作群の1本であり、アイルランドでロケを敢行した作品でもある『静かなる男』(1952)への、ひいてはフォードへのゲリンの深い愛情が、しかし慎み深く全編に行きわたった珠玉のドキュメンタリー。

 ゲリンは、フォードの故郷・アイルランドの歴史を点描しながら、『静かなる男』のロケ地である人口250人の小村、メイヨ郡コングの人びとの現在の生活を記録していき、それと並行してくだんのフォード作品の断片を思いがけない手法で引用していく――。

 現在と過去、フォード作品と現実の村人たちの日常とが、さまざまな視聴覚的技法を駆使して織り重ねられていく、ドキュメンタリスト・ゲリンのブリリアントな才能が凝縮された必見作だが、ゲリンの、けっして「贔屓(ひいき)の引き倒し」にならないフォード作品への、いわば禁欲的な距離のとり方ゆえに、かえってこちらは“武装解除され”、涙が止まらなくなる。

 そして何より心を揺さぶられるのは、この映画が“未来から贈られた『静かなる男』の予告編”になっていることだ。

■『影の列車』(1997)

 1930年に謎の失踪を遂げたアマチュア映画監督が残した白黒のホーム・ムービーをもとに、ゲリンが新たなカラー映画を撮り上げる、という独創的な設定の作品。この作品でも、窓ガラスの反映像を魔法のように多重化する手法や、夜の窓辺を何かの黒い影がすーっと横切ったり、稲光で不意に明るんだりする画面の継起そのものが醸すサスペンスに、とことん魅入られてしまう。ちなみにゲリンの作品に接すると、映画評論家・上野昂志氏の名言、「映画は物語を含むが映画は物語ではない」、がしきりに思い出される。

*今現在、私は残念ながら未見だが、本特集で上映される他の4本について、短くコメントしておこう。

『シルビアのいる街の写真』(2007)

 無数の白黒スチール写真で構成された、『シルビアのいる街で』の構想ノートでもあり、映画作家ゲリンの内的デッサン集でもあるような興味津々の一編。ああ、早く見に行きたい!

『工事中』(2001)

 数年に及びバルセロナの一地区、ラバルの大規模再開発現場を記録したドキュメンタリー。都市郊外の変貌と住人たちの日常がていねいに描かれ、その地区の過去・現在・未来のイメージが重ねられる作品だというから、これも絶対に見逃すまい。

『ゲスト』(2010)

 『シルビアのいる街で』がさまざまな国の映画祭に招待された際、次回作の構想を練りながら、ゲリンが行く先々の光景を小型カメラで撮影した(ただし、映画祭の喧騒をあえて撮らなかった)作品だというから、これもぜひ見に行こう。

『メカス×ゲリン 往復書簡』(2011)

 リトアニア出身のアンダーグラウンド映画の旗手にして“日記映画”の名手、ジョナス・メカス。その彼とゲリンとの、「俳諧の連句を想わせる」コラボレーションだと言われてしまえば、これももう見るしかない!

 以上3回にわたって述べたことを踏まえて、若干のコメントを記し、「結び」としたい。

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