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傑作『ローマ法王の休日』を評価できない評論家や記者はシロウトだ

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

 7月21日公開のナンニ・モレッティの最新作『ローマ法王の休日』を、まさか邦題から『ローマの休日』を想像する人はいないと思うが、いくつかの映画評を読むと一見似た内容の『英国王のスピーチ』を期待しているようだ。

 先週金曜の「毎日新聞」夕刊は「思わせぶりだが少々混乱させる展開や、あっけない幕切れには食い足りなさも残った」(勝)や「物語が内省を深め、やや失速する後半が残念」(諭)と論じ、「週刊文春」では中野翠が「贔屓監督の作だし着想は面白いのにユーモアや皮肉が不発のままで物足りず」で3つ星、おすぎは「原題(たぶん「邦題」の誤り)に騙されて、清々しい映画かと思ったら、結構へこみました」で2つ星。みんなまるで『英国王のスピーチ』のような劇的な映画が念頭にあるように思える。

 作品賞を始めとするアカデミー賞を受賞した『英国王のスピーチ』は、吃音の国王が訓練を重ねて、最後に国民の前で立派なスピーチをすることで国民をナチスに対する戦いに向かわせる、という古典的なハリウッド型のドラマだ。そのうえ史実に基づいている。

 ところが『ローマ法王の休日』は、選ばれたローマ法王が恐れをなして逃げてしまうという、現実にはありえない設定から始まる。

 映画はまるでバチカンを撮ったドキュメンタリーのように、荘厳に始まる。前法王の葬儀が映り、世界各国から集まる108人の枢機卿によるコンクラーベ(法王選挙)へと向かう。

 ようやく決まったのは、フランスの名優ミシェル・ピコリ演じるメルヴィルという名の枢機卿で、全くの予想外だった。サン・ピエトロ大寺院のテラスでようやく「法王が決まりました!」(Habemus Papam ラテン語でこの映画の原題)と告げた後に、奥から呻き声が聞こえ、新法王は現れない。それどころか、体調が悪いと言い出す。サン・ピエトロ広場には、世界中から集まった大勢の人々が今か今かと待ち構えているのに。

 困り切ったバチカンの報道官は、イタリア一の精神科医を連れてくる。これを演じるのが監督のナンニ・モレッティで、抜群におかしい。診察しようにも多くの枢機卿がそばで聞いているし、いつの間にか外に出ることを禁じられて拘束されてしまう。そのうえ、医師自体が妻に去られたばかりで精神的な問題を抱えているようにさえ見える。

 報道官はこの精神科医ではだめだと思い、イタリアで2番目の精神科医(モレッティの元妻という設定!)の元にメルヴィルを護送して送り込む。ところがメルヴィルは帰り際に護衛をまいて逃げ出して、一人でローマの街をさまよう。そこで出会う劇団の人々。彼はもともと芝居をやりたかったのだった。バチカンでは、枢機卿たちが精神科医の指導で退屈しのぎに地域別の世界バレーボール大会を始める。

 これは壮大な風刺劇以外の何ものでもない。まずはキリスト教をからかう。その総本山とも言うべきバチカンの内部で、枢機卿たちがどんなに普通の人々と同じかをユーモアたっぷりに見せてくれる。法王選挙中は外部との関係を一切絶ち、携帯電話も没収されているのに、メルヴィルの躊躇で長引きそうになると、外にコーヒーを飲みに行きたいだの、カラヴァッジョ展を見たいだのと口々に言う。そもそも誰も法王などになろうとは思っていないのだ。規則に縛られたバチカンは、時間が止まったように全くの無力である。体裁だけを取り繕う報道官。

 そんなバチカンを崇め、世界中から集まった人々が喜んだり悲しんだりする姿が何度も何度も映る。これはギリシャや南欧の危機に慄(おのの)くヨーロッパそのものではないか。一度に危機を救ってくれる人などもはやいないのに、結局人々はカリスマを求めている。

 特にイタリアは、右派のシルヴィオ・ベルルスコーニが最近まで首相だった国だ。スキャンダルと失言だらけの首相なのに、人気は抜群だった。何度も蘇ったベルルスコーニだったが、結局経済的危機の前に消えてしまった。

 さらに有名人や知識人の無能ぶりも暴かれる。

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