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脱原発の抗議行動をする人たちは「熱狂」しているのか?

近藤康太郎 朝日新聞西部本社編集委員兼天草支局長

 金曜夜の官邸前抗議行動には、なるべくかけつけている。2000年代の新しいデモを最初期から記事にしてきた身にすれば、「思えば遠くへ来たもんだ」と感慨を覚える。

 2003年に東京・渋谷で始まったサウンドデモには、ぶっとんだ。イラク戦争反対で始まったデモだったが、どでかい音を出すサウンドカーに先導され、DJにボアダムズの山塚アイちゃんとかが乗り、センスよすぎの曲をかけまくる。最初は少人数だった“デモ隊”が、場所柄からか、音楽に感応してわさっと集まり、マルイ前のスクランブル交差点が、一瞬、人で占拠されちゃうほどになった。路上にクラブが突如出現した、という感じ。

拡大DJを乗せたトラックを先頭にしたイラク戦争反戦のサウンドデモ=2003年10月5日、東京都渋谷区

 「デモ」の意味を刷新した。それまで労組などが動員していたデモは、歩道の通行人なんかだれも注目していない。デモのくせに、デモンストレーションしていなかったわけだ。

 その後、高円寺のリサイクル店・素人の乱による「家賃タダにしろ!」「撤去された自転車返せ!」みたいな、半分冗談みたいな破天荒なデモが始まった。「路上を開放せよ」という主張のデモが最高潮に達したとき、

You Gotta Fight/ For Your Right/ To Party

 サウンドカーから、ビースティー・ボーイズの曲がかかったときは、ぞくっとしたもんだった。言いたいことがあれば、基本的にだれでも路上に出て、主張していい。道路は警察のものじゃない。警察は、道路交通の安全を確保する業務を、国民から請け負っているだけなんだ――。デモに対する若者の意識は、この時点で大きく変わった。

 これが2010年暮れまでの出来事。その後に東日本大震災、原発事故が起きて、デモは新しいフェーズに入る。サウンドデモにはちょっと怖くてついていけないという、女の子や子供連れが参加するデモが現れた。

 ツイッターデモと呼ばれた。アーティスト集団が「鬼カワイイ」人形のオブジェやパンフレットを手作りし、定期的に渋谷を歩くようになる。彼らの努力で、デモに参加する層が、ほんとうに多様になった。

 6月、梅雨の官邸包囲で、わたしのアロハを後ろから引っ張る人がいて、振り返ると、数年前に定年退職した文学担当の元編集委員。この方、品のいいのでも有名で、声が激小さく、わたしなんぞ、いつも「あ? 何て? 聞こえねーよ」とか言っていじめてたんだが、その女性が傘を差しつつ1人参加して「再稼働反対!」って、蚊が鳴くような声で叫んでる。小さく感動した。

 最初は黙殺されてた金曜の抗議行動も、最近はメディアに大きく取りあげられ始めている。なので、今日はあえて、「抗議行動には絶対参加しない」という人のことを書く。

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筆者

近藤康太郎

近藤康太郎(こんどう・こうたろう) 朝日新聞西部本社編集委員兼天草支局長

1963年、東京・渋谷生まれ。「アエラ」編集部、外報部、ニューヨーク支局、文化くらし報道部などを経て現職。著書に『おいしい資本主義』(河出書房新社)、『成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか』(水野和夫氏との共著、徳間書店)、『「あらすじ」だけで人生の意味が全部分かる世界の古典13』(講談社+α新書)、『リアルロック――日本語ROCK小事典』(三一書房)、『朝日新聞記者が書いた「アメリカ人が知らないアメリカ」』(講談社+α文庫)、『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』(講談社+α新書)、『朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点』(講談社+α新書」、『アメリカが知らないアメリカ――世界帝国を動かす深奥部の力』(講談社)、編著に『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(文春文庫)がある。共著に『追跡リクルート疑惑――スクープ取材に燃えた121日』(朝日新聞社)、「日本ロック&フォークアルバム大全1968―1979」(音楽之友社)など。趣味、銭湯。短気。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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