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【ポスト・デジタル革命の才人たち】 宮前義之(上)――自然を見ていると素材や服のイメージが広がる

聞き手=服部桂(朝日新聞社ジャーナリスト学校シニア研究員)

 大手ブランドの顔としては異例の35歳の若さで、2011年5月にイッセイ ミヤケのブランドを背負うデザイナーに選ばれた宮前義之さんは、業界にセンセーションを巻き起こした。学生時代から新しい素材に興味を持ち、モバイルの次の情報環境として、着られるウェアラブル・コンピューターのショーにも参加し、次世代のファッションにもいち早く目を向けた。グーグルの創業者たちとも同世代の感性で、ファッションにどんな新風を吹き込んでくれるのか、各界からの期待の目が集まる注目のデザイナーだ。すでに2回のパリコレ(パリ・コレクション)を成功させた現在、これからのファッションにかける夢を聞いた。

■パリコレの裏側

――宮前さんが30代半ばという若さでパリコレを任されたのは、業界でも大きなニュースになりましたね。

宮前 任せると言われたときはすごく緊張しましたが、もうやるしかないと思い、がんばりました。そういう意味では、数多くの周りの方に後押ししていただいて、とても感謝しています。また、震災後、経済が大きく変化している時代の中で、このきっかけを自分のチャンスと捉え、日々、取り組んでいます。

――きっとこのサイトの読者の方は、私も含めてファッションに詳しい方はあまりいらっしゃらないと思うので、まず「パリコレって何?」という基本のあたりから教えていただけませんか。

宮前義之さん=撮影・佐藤類

宮前 パリコレというのは、パリで年2回開かれる服の新作発表会です。大きくは注文服である「オートクチュール」と、既製服の「プレタポルテ」に分かれますが、それぞれがまた男性用の「メンズ」と女性用の「レディース」に分かれます。

 僕がイッセイ ミヤケとして担当しているのは、レディースのプレタポルテです。ファッション業界では一番メインのものですね。それが「春夏」と「秋冬」という形で年2回あり、次のシーズンのための新しい服の発表をするのです。そこで今回は、3月に今年の秋冬向けのコレクションを発表したわけです。

 コレクションとしてはパリだけじゃなくて、東京でも開催します(東京コレクション)。年初から順番に、まずニューヨーク、次にミラノ、ロンドン、パリとまわり、最後に東京となるのです。その中でもやはりパリは一番大きなクリエイションの舞台です。世界中から最も多くジャーナリストとバイヤーが集まって、そこから世界に発信される晴れの場ですね。

――パリコレって、いつぐらいからやっているものなのですか。

宮前 もともとパリでは20世紀の初頭から、伝統的なオートクチュールのコレクションがありました。そのうち時代の要請で既製服が注目されるようになり、プレタポルテが中心になっていったのです。そうした流れを受け、1970年代になって弊社の創業者である三宅一生や高田賢三さんをはじめとする日本のデザイナーも進出して行きました。

 株式会社イッセイ ミヤケは、1970年に設立された三宅デザイン事務所の子会社として、当初、商品の製造、販売をするために73年に設立されました。そこでパリコレで発表するようになり、かれこれ40年たったところです。三宅本人はコレクションを99年まで務め、2000年からは2代目の滝沢直己、06年から藤原大と世代交代し、今に至ります。

――今回の秋冬コレクションの展示会を見せていただきましたが、広いフロアにものすごい量の服があってびっくりしました。これだけ作って、それをまたパリまで運んでショーをするって、とても大変な作業ではないかと思いましたが。

宮前 いえいえ、大変なのは他の職業も同じです。実際のスタッフとしてはデザインチームが7人いて、その中には服を担当する者とテキスタイル(生地)を担当する者がいます。あと、デザインを元に型紙を作るパタンナーが10人ですね。素材数でいうと100ぐらい。素材一つに対して、ジャケットとかパンツなどいろいろなアイテムがあったりするので、服のデザイン数ではおよそ300ぐらいあると思います。

――その中で実際に、ショーでモデルさんが着て歩いているのは何着ぐらいですか。

宮前 そうですね。今回は32スタイルを出しました。昔はもっとコレクションの時間が長かったのですが、今では本当に10分とか、長くても15分ぐらいしか時間の割り当てがないのです。その時間内で、半年間で練りに練って作り上げてきた仕事を集約して表現しなくてはいけません。

 もちろん別に展示会もあり、足を運んでくださった方には、すべての服をご覧いただけます。しかし、各メゾン(ブランドや店)のショーが1時間おきにあるので、ジャーナリストやバイヤーもそれに合わせてまわらないといけないのでとても忙しい。だからそのショーの約10分で、そのメゾンの考え方や次のシーズンのイメージや方向性を、一瞬で伝えなくちゃいけないのです。

――すごいプレゼン力が必要になりますね。

宮前 海外の力のあるところは、ショーにものすごいお金をかけて、一大スペクタクルショーみたいなものを発表します。服で勝負するところは服がきれいに見えるようなプレゼンを心がけてやっています。そういう意味では見せ方というのはだいぶ変わってきたと思います。

――現地ではどういう作業をされているんですか。

宮前 だいたい現地には1週間前に入って、服のスタイリングを組んだり、オーディションでモデルを選んだり、ショーの演出の打ち合わせをしたりして、全部でおよそ2週間ぐらい滞在します。今回は300人以上モデルを見て選びました。モデルたちはシーズンごとに、ニューヨーク、ミラノ、ロンドンと世界中をまわっているのですが、入れ替わりが激しい世界なので、毎回新顔を含めて選ばないといけません。

――どういう基準で選ぶんですか。

宮前 本当にモデルの選択って重要だと思うのです。服は着る人によってそのイメージが、ガラリと変わります。かなり雰囲気が左右されるので、まず女性像を決めてから選ぶのです。例えばある赤い服を肌の白い人が着るのか健康的な感じの人が着るのかで、エレガントになったり逆にスポーティーになったりするので気を配ります。前の春夏シーズンは、花が開くような軽く抽象的な感じを追求しましたが、今シーズンは鉱物をイメージした少し力強いイメージだったので、だいたいは強さを感じる女性をキャスティングしました。

2012年3月のパリコレ (c)2012 ISSEY MIYAKE INC. 

――それ以前にも、かなりの準備をされると思うのですが。

宮前 2011年10月に最初のパリコレが終わって、自分の中ではまずリセットして、秋冬のコレクションのイメージを考え始めました。しかし一番大変なのは、イッセイ ミヤケが他のメゾンやデザイナーと違って、素材づくりから手掛けていることなのです。つまり、買ってきた素材をただ料理するのではなく、自分たちが現場である畑に行って耕して、種を撒いて植えて、素材自体を育てる作業までやっているということです。

 ここで現場というのは、機屋さんや染め屋さんです。しかし、さらに本当の川上に行って、糸から開発しようということになると、本当に長期間の話になります。年2回のコレクションに合わせて、毎回新しいものを作っていくのは非常に大変な話です。

――今回のパリコレのビデオを見ると、舞台の上で竿にかかった布きれにスチームアイロンで蒸気をかけると、徐々に服の形になっていくという、まるで手品を見ているような素材が使われていましたね。

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