聞き手=服部桂(朝日新聞社ジャーナリスト学校シニア研究員)
2012年08月04日
――宮前さんは、高田賢三さんや山本耀司さんなどの有名デザイナーを輩出した、文化服装学院で学ばれたんですよね。
宮前 ええ。アパレルデザイン科に所属していて、どちらかというとデザイン画を描いて服にする方が専門だったのです。でも素材はもともとすごく好きでした。専門的にやっていたわけじゃないのですが、当時から素材をさわり、そこから形にするということは手を動かしながらやっていました。
――すでに高校生のときから自分の服を作られていたと聞きましたが。
宮前 そうです。もともと小さい頃からモノ作りがすごく好きで、服とはまったく関係なく、絵を描いたり、何かを作ったりすることをいつもしていました。両親が美術関係の仕事をしていたので、道具類はいろいろ揃っていて、小さいときから自由にモノを作ることが遊びのひとつでした。
中学時代は学生服が好きではなく、高校は私服の学校に通っていました。東京で育った環境も影響したのでしょうが、周りのおしゃれな友達に感化され、ファッションに興味を持ち、自分の着たい服を自分で作るようになりました。
――一般的に男の子が何か作るのが好きなとき、プラモデルやカメラなどの物に行っちゃいますよね。学校でも家庭科では、女子は裁縫で男子はのこぎりで何か切ったり、メカを作ったりというのが一般的です。
宮前 僕もそういう工作はやっていました。だから、なぜ高校時代にミシンを踏み始めたのかというのは、今でも不思議に思います。ただ、そのときはあまり洋裁をやっているという感覚はなくて、プラモデルを作っている感覚だったのです。小さいころはプラモデルがすごく好きでした。
服って、パターンで見ると、身ごろがあって、袖があって、襟があってと、いろんなパーツでできているじゃないですか。それだけ見ると全体の形は分からないけど、プラモデルのパーツみたいに組み立てると服の形になります。つなぎ合わせて形にして、完成したときの気持ちよさがたまらないですね。
――それを本格的に職業としてやろうとするきっかけが何かあったんですか?
宮前 高校生の頃に好きで通っていたギャラリーがあり、その方の紹介でイッセイ ミヤケのショーを見る機会がありました。それは一般向けのショーではなくて、プロ向けの東京コレクションでした。本当に感動しました。ちょうどイッセイ ミヤケのプリーツが新しい可能性を世の中に提示した華やかなときで、自然とこの道に行きたいという気持ちになりました。その後、デザイナーを志し、さまざまなコンテストに挑戦しました。
――それで、文化服装学院に入られた。
宮前 そうですね。最初は服のデザイナーを目指すのであれば、海外に行くべきだという思い込みもあったのですが、作っていくうちにやっぱり独学に限界を感じたのです。
実際に服を分解して研究していたのですが、ほどいて伸ばして、どういう寸法になっているのかを測ると、中にいろいろな芯があったり、見たことのないパーツがいっぱい入っています。それは「テーラード」という立体的な形を出すためのものだったり、「ゆき綿」と呼ばれる袖山の丸味を出すために入っている付属物だったりします。それはパターンや表面だけ見て作っていたときは気付かなかったのです。
服作りを始めた当初は、デザイン画がうまければデザイナーになれると思って毎日デザイン画を描いていたのですが、建築と一緒できちんとした構造がないと服にならないことが分かってきました。やはり服の基礎を勉強しないとまずいと思い、文化服装学院に入学しました。
■ウェアラブル・コンピューター
――確か、宮前さんと最初にお会いしたのは、私が文化服装学院でウェアラブル・コンピューターのファッションショーをやったときですよね。
宮前 そうですね。あれは面白かったですね。学生として参加していました。
――1997年にアメリカのボストン郊外にあるMITで、ウェアラブル・コンピューターという、情報機器を付けたり高機能素材で作った服型のコンピューターのショーがありました。モバイルの先にはもうデバイスを手に持つのではなく、服や腕時計や装飾品にケイタイや健康管理の機能が付いているというイメージです。そうした未来の服を、世界中の若手デザイナーが作ってファッションショーをやりました。
そこに文化服装学院の皆さんも参加していて、その後に日本で朝日新聞が主催して、一緒に文化服装学院でファッションショーを開催したんですよね。同じ世代のデザイナーが集まって、こういう服を着たら未来の人のライフスタイルはどう変わるだろうと提言する、すごく面白いイベントだったですね。
宮前 すごい体験でしたね。21世紀という未来を目前に控えるあの時代にぴったり合っていたと思うし、みんながそれを自然と感じていろいろなアイデアが出てきました。握手をしただけで相手の情報がわかる服や、スイッチを押したら自動的に服が機械から出てくる装置とか、そういうことをみんな本当にまじめな顔をして話していましたね。
僕もMITでは作品を出していました。ちょうど同級生と一緒に、色や形が変化して、着ている人の感情を表現できるという未来の服を作りました。
――その後にイッセイ ミヤケに入られたんですね。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください