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続・ロンドン五輪TV観戦記――オリンピックの「感動」と不健康さについて

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 TVが触れない一流選手の遺伝的な優秀さや、五輪中継や視聴者の「感動好き」に関しては、ビートたけしの次の言葉が急所を突いていて痛快だ。ちょっと長いが引用しよう――。

「メダリストになれるかなんて、持って生まれた才能によるところが一番大きいんだからね。才能のないヤツはいくら努力したってオリンピックには出られない。そういう“真実”をテレビじゃ絶対教えない。/で、テレビを見ているほうにも問題があってさ。オリンピックで誰かが活躍するたびに“感動をありがとう”とか“生きる力をもらえた”なんて視聴者からの手紙やメールが読み上げられるけど、じゃあ毎年オリンピックをやれば自殺者が減るかっていうとそんなはずはないわけでね。結局、お手軽な所で感動ごっこを繰り返しているだけだよな」(「週刊ポスト」8月17日/24日号)。

 言い得て妙ではないか。

 さて以下に、これまでに触れなかったロンドン五輪に関する、ひいてはオリンピックという見世物に関する2、3の事柄を、断章形式で箇条書きにしておく。

*TV五輪報道の「感動」系のエピソードと表裏をなすように出来(しゅったい)する行為が、<勝つためには手段を選ばない>もろもろの“違反”である。その最たるものがドーピングだが、サイエンスライターのドクタークラレによれば、脱法ドラッグと同じで、専門家が化学的な構造をいじれば、規制に引っかからずにエフェドリンなどの興奮剤や、筋肉増強剤=蛋白同化ステロイド剤と似たような効果を生み出す薬物はいくらでも作れるという。

 また同氏は、ドーピング技術に関しては、アメリカがダントツ、次いで中国がそれを追っており、日本は最下層だという(『サイゾー』8月号)。

 まったくもってスポーツ選手とは、カネと名誉のためには何でもやりかねない危うい存在なのだが、いっそ日本男子柔道も、脱法ドーピングか国技・相撲のお家芸(?)である八百長か、あるいはアゼルバイジャン・ボクシングチームを見習って、審判への贈賄を取り入れたらどうだろう(あ、冗談デス)。

*オリンピック選手の肉体改造への執念の凄さは、1984年から96年まで、7回にわたって五輪のスピードスケートや自転車競技に出場しつづけた橋本聖子(現在・参議院議員)の発言にも示されている。

 橋本は、選手時代は体脂肪率が8~9%になって汗をかかない体になって、8年間は生理もなかったという。また彼女は、体格には限界があるが、魂とか精神には限界がない、魂で体格の限界を超えることが当時の目標だったと、ちょっとアブナイ発言もしているが(前掲『サイゾー』)、ともかく、こういう話を聞くと、スポーツとはひどく不健康なものであり、またオリンピックとは“モンスター・ショー”以外の何ものでもないと、あらためて思ってしまう。

*バドミントン女子ダブルスで、中国、韓国、インドネシアのペアが「無気力試合」で失格という異例の事態が起こったが、スポーツライターの武田薫は、あれは各選手とチームが最高地点に立つために行ったことだから「無気力」という裁定は違う、むしろシステムの矛盾がもたらしたものだと述べている。

 しかし私は、

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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