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大傑作『プロメテウス』は見逃せない!!(中)――「化け物映画」としての醍醐味

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 ところで『プロメテウス』の宣伝コピー、「人類の起源」うんぬんを、あまりシリアスに受けとる必要はあるまい。なるほど、人類の起源が神でも進化論でもなく地球外生命体であったとする“驚愕の事実”が、本作の物語上のメインテーマではある。

 しかし極論すれば、「人類の起源」うんぬんは、リドリー・スコットにとって、前代未聞の<化け物譚>を展開し、それをさまざまな斬新な近未来的ビジュアルやアイテムで彩るための「口実」ではなかったか(恐竜などのモンスターを銀幕に登場させることに人生を賭けた特撮のパイオニア、ウィリス・H・オブライエンやレイ・ハリーハウゼンにとっての物語やテーマがそうであったように)。

 むろん、これまでに見たように、『プロメテウス』の物語的主題も十分すぎるほど興味深いが、それでもなお、あまりに精巧かつリアルに描かれる筋肉隆々の巨人、各種クリーチャー(化け物)、その“種子”である黒い有機体(生物兵器)、それを収容したアンプル、“ピラミッド”内の人工冬眠ポッド、ちょっとした空中都市の様相を呈するプロメテウス号のデザイン、現在のスマホを超進化させたような半透明の携帯タブレット(タッチパネル操作でハイスピードのデータ送受信が可能)、などなどを目のあたりにすると、どうもそのように思えてくる。

 とりわけ例の黒い有機体は、他の生命体と交わることで新たな種へと急激に生成変化する。それゆえ前述のように、それに寄生されたホロウェイ博士と性交したエリザベスは、その幼虫を身ごもるのだが、彼女が自ら自動手術機で果敢に帝王切開し、早くもイカの怪物のように成長して何本もの触手をうねらせている乳白色のそれを取り出し、すばやく医療ポッドの中に捕獲するシーンの恐怖は、筆舌に尽くしがたい(だがその場面でリドリー・スコットは、凡百のホラーのような、これ見よがしの残酷描写を注意深く排している。工夫されたアングルや照明、動きすぎないカメラ、ほんの数瞬しかそれを写さない撮り方などによって)。

 なお、スコットは本作の各種クリーチャーを、そのリアルな質感を出すためにデジタルではなく、すべて実物模型を使ったワイヤー・アクションなどの特撮で撮ったという。さすがである(それにしても、1982年の『ブレードランナー』以来の30年にも及ぶリドリー・スコットのスランプは、いったい何だったのか……)。

 さて、惑星を踏査中のミルバーン(レイス・スポール)とファイフィールド(ショーン・ハリス)が、黒い水たまりから出現した2匹のコブラのようなクリーチャーに襲われるシーンにも、身の毛がよだつ(そこでもカメラは、化け物を長く撮らない)。

 そのヘビ状の生きものは、すばやくミルバーンの腕に巻きつき、恐ろしい力で締めつけて彼の腕をへし折り、硬質ガラスのヘルメットを一撃のもとに突き破り彼を殺し、彼の口から彼の体内にもぐりこむ。と、もう一匹のそれが黄色い毒液をファイフィールドに浴びせかけ彼をクリーチャー化してしまう(ああ、これが映画の中の出来事で良かったと、心底思う)……。

 ラスト近くのクライマックス、エリザベスの最後の戦いが展開されるシーンも圧巻だ。

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