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 1985年に始まった東京国際映画祭(TIFF)は、今年の10月で25回目を迎える(最初は隔年開催)。これまでさんざん批判されてきたこの映画祭だが、この節目の年にあたって、もう一度どこがダメなのか、どうしたらいいのかを、できるだけ建設的に考えてみたいと思う。

拡大ベネチア国際映画祭のメイン会場=撮影・筆者

 筆者は今年もベネチア国際映画祭に参加した。これは1932年に始まった世界で最も古い国際映画祭であり、カンヌ、ベルリンと共に「三大映画祭」として知られる。

 最近は、1週間後に始まるトロント国際映画祭のほうがビジネスの場としてより重要視されるようになって影が薄くなったと言われるが、今年も力作が揃った。

 コンペの18本だけでも、金獅子賞を取ったキム・ギドクを始めとしてポール・トーマス・アンダーソン、テレンス・マリック、マルコ・ベロッキオ、ブライアン・デ・パルマ、北野武といった国際映画祭の常連監督たちが並ぶ。コンペ外にも、マノエル・ド・オリヴェイラ、ジョナサン・デミ、黒沢清といった巨匠や実力派が揃う。やはりベネチアである。

 ではいったいベネチアの何が、ベネチアたらしめているのか。

 まず、月並みだが、そのロケーションについて触れないわけにはいかない。ベネチアは世界でも有数の観光地であり、映画祭はさらにその中心部からボートに乗るリド島という海水浴に適した高級保養地で開催される。1930年代の写真を見ると、浜辺で着飾った紳士淑女が夜の野外上映を楽しんでおり、特権的な場所であることがよくわかる。

 1948年に始まったカンヌもまた高級保養地として有名だ。そのほか伝統ある国際映画祭はスイスのロカルノ(1946年~)にしろ、チェコのカルロヴィヴァリ(1946年~)にしろ、スペインのサン・セバスチャン(1953年~)にしろ、長い歴史を持つ映画祭は、すべて富裕層がバカンスを過ごす場所だ。例外は大都市のベルリン(1951年~)だけだが、これは当初は西側の文化を東独にアピールする政治的意図があった。

 もちろん現代においては、高級保養地というのが、国際映画祭にとってさほど意味があるとは思えない。しかし映画祭というものが、スターや監督がレッド・カーペットを歩くという華やかなシーンなしでは考えられないことを考えると、開催都市自体の華やかなイメージが大きな役割を果たすのは事実だ。非日常な空間でこそ、映画という夢の産業が輝く。

 それ以上に重要なのは、それらが大都市でないということだ。カンヌのクロワゼット大通りが典型だが、映画祭では狭い空間で毎日いろいろな人と出会うことが日常だ。いくつかの会場を毎日巡っているうちに、映画関係者は監督であれ、プロデューサーであれ、配給会社であれ、ジャーナリストであれ、いろいろな人と出会い、そしてそこから新しい関係や企画が生まれてくる。

 映画祭はある種、自由解放区であり、監督やスターにも近くで出会うことができ、声をかけることさえ容易だ。それは映画祭だけではなく、演劇祭や現代美術のビエンナーレなどの最大の魅力だが、東京のような大都市ではそれがなかなか難しい。

 1991年に始まった山形国際ドキュメンタリーは、「ドキュメンタリー」というジャンルの選択が良かったことを別にしても、山形市という地方都市で開いたことが大きかった。参加した人はわかるだろうが、そこでは観客の誰もが監督や出演者と出会うことができる。夜遅くまで空いている店は多くないし、映画祭が特別の場所「香味庵」まで用意しているから、映画祭ならではの人間的な出会いの場所として最高だ。山形がTIFFより国際的な評価が高いのは、場所の魅力も大きい。

 現代美術の分野で、「横浜トリエンナーレ」が少なくともTIFFに比べたら、世界的な評価が高いのは、それが横浜の「みなとみらい地区」という特徴のある地区で開催されたことが大きい。海に面した赤レンガ造りなどの会場は、べネチア・ビエンナーレを思い出させるし、なかなか魅力的な会場だ。

 上映される映画のレベルはとりあえずおいておくとしても、TIFFが物理的に難しい理由はほかにもある。

 TIFFは現在、六本木のシネコンで開催されている。つまり専用の会場を持っていない。ベネチアもそうだが、カンヌにしろベルリンにしろ、一流の国際映画祭は専用の会場を持っている。どこもそれぞれの言語で「映画宮殿」という名称だが、そこにはスターや監督たちが着く車寄せがあり、そこから始まるレッド・カーペットがあり、そして立派な舞台や控室がある。

拡大2011年の東京国際映画祭では野田佳彦首相(中央)と枝野幸男経産相(右)がオープニングベントに出席した=東京都港区の六本木ヒルズ

 ところがシネコンにはそもそも華やかさはないし、ろくな車寄せも、舞台もない。空いている場所に、遮二無二レッドならぬグリーン・カーペットを敷いている有様だ。

 そしてそれらの「映画宮殿」は、最低1000人から3000人規模のメイン会場に加えて、いくつかのサブ会場を持つ。ベネチアは数年前から会場の老朽化や狭さが叫ばれ、いったん決定して工事も始まっていた新映画宮殿計画が、2011年になって予算不足で中断した経緯がある。それにしても1000人から2000人の会場を3つ持ち、さらに複数の小会場を持つ。

 TIFFの主会場であるTOHOシネマズ六本木が、最大の「スクリーン7」でも650人弱であり全部合わせても2000人強、開会式さえ複数のスクリーンを使ってビデオ上映をしている現実を考えると、暗澹たる気分になる。

 かつてTIFFはNHKホールを中心に、渋谷の東急文化村を使っていた。専用の会場は持たなかったが、その頃はまだ華やかな感じがあった。それが東急文化村中心になり、さらに六本木のシネコンが中心になるにつれて、映画祭らしい会場からはどんどん遠ざかってきた。

 このようにTIFFは、中身の問題はさておき、世界的にみると物理的に圧倒的な不利な状況にある。そもそも映画祭がいまだに欧米が中心であることを考えると、日本は地理的に不利な立場にある。日本まで行く価値がないと、少なくとも欧米から人々がやってくる理由はない。

 さて、中身の問題に入るにあたって、次回はまず「ディレクター」という制度について考えたい。ちなみに今年のベネチアの最大の話題は、ディレクターがマルコ・ミュラーからアルベルト・バルベラに変わったことだった。そしてその違いは明らかだった。ところが、TIFFではいまだかつて「ディレクター」という制度が機能したことがないのだ。

 

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筆者

古賀太

古賀太(こが・ふとし) 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

1961年生まれ。国際交流基金勤務後、朝日新聞社の文化事業部企画委員や文化部記者を経て、2009年より日本大学芸術学部映画学科教授。専門は映画史と映画ビジネス。訳書に『魔術師メリエス――映画の世紀を開いたわが祖父の生涯』(マドレーヌ・マルテット=メリエス著、フィルムアート社)、共著に『日本映画史叢書15 日本映画の誕生』(岩本憲児編、森話社)など。個人ブログ「そして、人生も映画も続く」をほぼ毎日更新中。http://images2.cocolog-nifty.com/

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