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[2]第1章 盛り場・風俗篇(2)

「エロ・サービス」の出現

香取俊介 脚本家、ノンフィクション作家

■きっかけは「大阪式カフェー」

 カフェーも初期の銀座のプランタンのように上品で、モダンの気分をあじわう店であったら、文士や画家や一部好事家などが集まるだけで、それほどの広がりを見せなかったであろう。当初は「色気」が、さらに「エロ・サービス」が出現し、店同士の競い合いが激しくなるなか、新聞や雑誌が派手にとりあげたこともあって、カフェーは爆発的に増えた。

 銀座に誕生したカフェーは女給が飲食物を運んできて話し相手になる程度のもので、色気をふるまうものの露骨な「エロ・サービス」にまでは至らなかった。

 銀座のカフェーが大きく変貌したのは、大阪から「大阪式カフェー」ともいうべき店が相次いで進出してきてからである。大阪式カフェーの特色とは――ひとことでいえば「エロ・サービス」である。

拡大大阪式のカフェー=1929(昭和4)年9月11日

 具体的にどのようなものであったか。大阪式を真似た東京の神田須田町駅前のカフェー「ヤマト」について紹介すると――。

 「このレストランでは、×××、etc・etcが自由自在であるという。二階の日本間で、こっそり女たちは、××を×いでいるという。エロ気分を味わいたい人は、何をおいても、このカフェーを尋ねなければならない。(中略)ぴか一に続く女は××子である。産は北陸、××県、年は28、9だが、見たところは24、5にしか見えぬ。時に洋装するかと思えば、時にイキなお召しを着ている。かと思えばケバケバしい大模様のキンシャ(金紗・編集部注)をぞろりと着流している。今日はモガ、明日は江戸趣味というところだ。

 この女にクレオパトラというニックネームがある。がこのネームは案外、×××××にひそんだ凄腕につけられたものかも知れぬ。その他、これにつづく女給は、どれもこれもその道の腕達者ばかりである」(『エログロカフェ・女給の裏表』小松直人著)

 検閲のあった時代なので、きわどい箇所は伏せ字になっているが、それがかえって怪しさ、妖しさをかきたてる。この種のサービスを提供するカフェーが銀座を中心に新宿、渋谷や東京市内のあらゆる盛り場に出現したのである。

■商売重視の大阪式

 「商売重視」で「エロ・サービス」を盛り込み、日本のカフェーを大きく変えた大阪式カフェーだが、大正初年に開店した「カフェ・キサラギ」や、ついで道頓堀に誕生した「カフェ・パウリスタ」や「カフェ・ナンバ」などは、銀座の資生堂パーラーのような落ち着きをもったカフェーであった。

 いくつかの店が商売重視の観点から官能を刺戟するエロ・サービスを売り物にしたところ、連日連夜客が押し寄せた。

 大衆の心をとらえるのは、いつの時代も人間の(というより動物の)二大本能の「食欲」および「性欲」に訴えるものである。ただ、食はともかく性となると社会倫理やモラルと抵触する部分が多く、法的にもさまざまな規制があるので、業者のほうにもおのずとブレーキがかかる。大阪の業者はそのブレーキをぎりぎりまで外したのである。

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筆者

香取俊介

香取俊介(かとり・しゅんすけ) 脚本家、ノンフィクション作家

1942年、東京生まれ。東京外語大学ロシア科卒。NHKをへて脚本家、ノンフィクション作家に。「異文化摩擦」と「昭和」がメインテーマ。ドラマ作品に「私生活」(NHK)、「山河燃ゆ」(NHK・共同脚本)、「静寂の声」(テレビ朝日系)。ノンフィクション作品に『マッカーサーが探した男』(双葉社)、『もうひとつの昭和』(講談社)、『今村昌平伝説』(河出書房新社)など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです