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『純と愛』、こんなにツカミをつめこむな!

青木るえか エッセイスト

 NHKの朝の連続テレビ小説の最初の3日見て、いろいろ考えさせられた。

 どういうことを考えたかというと……デアゴスティーニのことを考えた。

 テレビで、デアゴスティーニの『週刊・世界の怪人二十面相(←私がテキトーにつけました)』や『週刊・世界の警視総監(←同じく)』や『週刊・世界の黒猫(←同じく)』が次々に「創刊号、バインダーと特別付録つきで発売中!」と売り出されるのを見ていて、よくもまあこれだけあらゆる「世界のナントカ」を見つけてくるもんだと感心し、これだけあとからあとから出てくるということはあとからあとから買う人がいるからだと思われ、内容に関わらず「バインダー&付録つき創刊号だけコレクションしてる人も日本中に1000人ぐらいいるんだろうなあと思った。

 本なのだけれどもグッズ。本として買うのだけれど読まれることはない、というような、昭和30年代における応接間の百科事典的存在。平凡社の担っていたその役割を、今はデアゴスティーニが担っている。

 ……って『週刊世界のナントカ』のシリーズを一冊も読んだことがないのに失礼なことを言ってしまった。

 ただ、さっきからずっと考えているのだが、『週刊世界のナントカ』の創刊号と、それ以降の号というのは、内容が違うんではなかろうか。

 創刊号は、客を呼び込むために、よく知られたハデめの話題を浅く扱い、そのハデめの話題にまつわる付録をつける。たとえば『週刊・世界のレッドツェッペリン』があったとして「創刊特集・天国への階段。特別付録、天国への階段ライブDVD(たいしてレアな映像でもないやつを十連発ぐらい収録)」てなことになるのでは。

 そして「創刊号だけ勢いで買っちゃった人」が去ってからの3号目ぐらいから、どんどん内容が深まって「19**年リハーサル音源についての考察」のようなものに深まっていく……って気はしないんだよなデアゴスティーニでは。ほんと、失礼なこと言ってますが。

 なんでデアゴスティーニのことばっか言っているかというと、朝ドラを見始めるといつも、最初の一週間ぐらい「とにかく最初が肝腎、最初に視聴者を惹きつけるぞ、最初に花火ぶちあげるぞ」とばかりに、平常心を失ったような、とんでもないエピソードがつめこまれたようなオープニングを見せられてるような気がする、からです。

 『カーネーション』は最初のほうを見てないのでわからない。その前の『おひさま』か、あれは初回を見た。『梅ちゃん先生』も見ていた。半年ものの15分ドラマのオープニングのツカミは難しいだろうなあと思うけど、もっとさらっとスタートできないものか。

 そして10月1日スタートの『純と愛』を3日見て、そのデアゴスティーニ創刊特別号ぶりに目がくらくらした。

 これからどういうドラマが始まるのか、さっぱりわからない。

NHK連続テレビ小説「純と愛」の武田鉄矢(左)

 沖縄出身の若い女の子が主人公なのはわかる。流行ってない旅館だかホテルだかの娘らしい。父親が武田鉄矢で、主人公の女の子は向こう見ずでキレると言いたいこと言っちゃうような子で就職の面接でも面接官にくってかかったりする。そして「こいつはきっと後々何かがあるに違いない」と匂わせる男の子が出てくる。

 こんなにツカミをつめこむな! ツカミにしたいのはよくわかるけど、ツカミにもなってないよ。

 まあ、その、主人公が「おじいのつくった夢の国を私がまたつくる!」とか、がーがー叫んでいるので、「ああ、沖縄でじいちゃんがやってた時代の、デカくはないがイイ感じのホテルを再建したいんだな」ということはわかる。武田鉄矢の父親が、その「おじいの夢の国」をぶちこわしたから断絶してるんだな、というあたりはわかる。

 わかるけど、この先どうなるんだろうワクワク、というよりもこの先どうなるかわからないがそばにいたら面倒に巻き込まれそうでイヤだな……と思ってしまうのだった。そういう感じの、「ツカミのつめこまれ方」。

 それから、初回から驚かされたのが、ナレーションで、主人公の心境がナレーションされるわけですが、

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