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[3]第1章 盛り場・風俗篇(3)

当局と業者の攻防

香取俊介 脚本家、ノンフィクション作家

■花柳界の危機感

 カフェーの隆盛によって、それまで花柳界に足をむけていた客がカフェーに通うようになった。客が激減した花柳界では「芸者学校」を開設して芸者にダンスを習わせたりする一方、カフェーの取り締まり強化を訴えて行動を起こした。

 大阪の例を紹介すると――花柳界の「三業組合」の幹部は、まずツテのある大阪商工会議所とはからい、警察当局へ取り締まりの強化を訴えたのである。訴えをうけて当局が動き出したが、手始めとして規制をくわえたのは、カフェーとともに流行しだしたダンスホールであった。

 男女が体をあわせて踊るダンスは明治の鹿鳴館の時代に上流人士を中心にはやったが、庶民レベルには無縁の世界であった。ところが、大阪・千日前のコテージというカフェーで、数坪の空間を利用して2、3人の客が女給を相手に踊ったところ、大好評だった。さらに千日前のユニオンが食堂の隅に「踊る場所」をもうけ、女給が蓄音機にあわせて客と踊るようにした。

 ユニオンにはさっそく所轄の警察署からクレームがついた。そこでユニオンでは、1925(大正14)年1月、食堂の2階の半分を改造して、リノリュームをひいてホールとし、活動写真館から楽隊をつれてきてダンスをはじめた。本格的なダンスホールの誕生である。

拡大にぎわう大阪のカフェー=(「アサヒグラフ」昭和4年9月11日号)

 ダンスの料金は一回10銭という切符制度をとった。10銭のうち4銭がダンサーの収入になった。翌年、切符(テケツ)は15銭になった。このシステムがウケて1927(昭和2)年頃にはダンスホールは大阪だけで10カ所に増えた。各ダンスホールとも常に満員で、見物客も殺到した。ジャズの急テンポと情緒的な狂おしげな拍子は、新しいものに飢えている人々の心をとらえたのである(『歓楽の王宮カフェー』)。

■規制の強化

 大阪府警察当局は「ダンスは風紀を乱す」として、昭和2年、ダンスホールの設置に関して厳しい規制をくわえた。商工会議者や花柳界の訴えがあったことは言うまでもない。

 警察の厳しい規制措置の裏で興味深い話がある。同年12月、港区、西成区と東成区片江町に芸妓居住区域が許可された。ダンスを規制する一方、花柳界についてはむしろ、これを奨励し援護するかのような許可をだしたのである。

 大阪朝日新聞と毎日新聞は、この「許可」について政友会系の議員の働きかけがあったという記事を掲載した。贈収賄の疑念があったのである。さらに2紙は追求の姿勢を見せたが、真相が表沙汰になることはなかった。

 いつの時代も、法律や行政指導等による規制の裏では、それによって利得を得る層や組織、人がいるものである。彼等が一種の「圧力団体」となって陰に陽に政治や行政に働きかける。それで状況がすこし動く。

 ダンスホールは大阪府警の厳しい規制によって閉鎖があいつぎ、ブームも終末をむかえた。これに気をよくした府警当局は、急増をつづけるカフェーにたいしても規制を強めることにした。もっとも、大阪商人は東京の商人のように当局に素直に頭をさげて従うのではなく、さまざまな抵抗の姿勢をしめした。

 「ダンスホール閉鎖以来大阪名物カフェーも勢をそがれたが、流石、道頓堀の美人座、ユニオン、赤玉、百万両などは相変わらず狂おしいジャズの音に更けゆく夜半も知らぬかに、景気よく賑やかである。これらのカフェーは表面警察の取締に対して専ら規則を厳守しているように見えるが、裏面に入ると随分鼻もちならぬ醜怪な事実が日に日に培われているという』(毎日新聞、昭和3年8月8日付)。

 表向きは規則にしたがうふりをしながら裏で規則を破っているのである。当局も黙ってはいなかった。徹底的にカフェー営業の内幕を調査すると共に、女給に関する対策を講じることにした。1929(昭和4)年7月15日、大阪商工会議所がカフェー取締決議をした。当局の意向が働いたと思われるが、決議は府知事と警察部長に提出された。

 以下、林喜代弘の『昭和初年大阪歓楽街展望』にそって記すと――。

 新聞、雑誌、労働組合、さらには福祉関連の組織からも、カフェー業者への規制を厳しくするよう要請がだされた。「女給たちの待遇の悪さ」が問題になっていたのである。

 毎日新聞は病院長や弁護士、実業家などの識者を現地で見学させて「カフェー是非」という記事を掲載した。また大阪朝日新聞は、「泥合戦のカフェ」というタイトルの連載をはじめた。

 賛否両論が熱くかわされた末、同年9月、警察当局が意見等を集約し、「カフェー取締規則」を制定しようとしたところ、業者らは強く抵抗した。両者のせめぎあいの末、「カフェーの風紀」や「衛生」などについての「規則の執行」という穏やかなものに落ち着いた。

 しかし、これで当局と業者の攻防は終わったわけではない。まもなく大阪府警察本部は再度規制にのりだし、「臨時カフェー取締規則」を制定した。先の規則より厳しいものであったが、大阪の業者も負けてはいない。ジャズの音楽にのせて女給たちを自動車100台にのせて市中を練ったり、カフェー大会を開くなどのデモンストレーションをおこなった。さらにカフェー大会の中央公会堂には4000人余の客をあつめて気勢をあげた(『食道楽』昭和4年12月号)。

 さらに、一部の店では「大阪商工会議所議員の入場お断り」の張り紙をだしたりした。大阪商工会議所が花柳界の要望をうけ、当局にカフェー取り締まりの強化を訴えたことへの対抗策であった。

 一方、カフェー取り締まりに賛意をしめした婦人矯正会などは大阪商工会議所の議員らに、「カフェー撲滅を主張するのも結構だが、だったら商工会議所の議員らが花柳界で宴を開き芸妓と遊ぶような慣習も廃止したらどうか」と皮肉をこめた提言をだした。

 取り締まりの強化などで、盛況をきわめた大阪式カフェーも客がへりはじめた。業者らは大阪に本拠を残しつつ、活路をひらくため東京進出をはかったのである。

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筆者

香取俊介

香取俊介(かとり・しゅんすけ) 脚本家、ノンフィクション作家

1942年、東京生まれ。東京外語大学ロシア科卒。NHKをへて脚本家、ノンフィクション作家に。「異文化摩擦」と「昭和」がメインテーマ。ドラマ作品に「私生活」(NHK)、「山河燃ゆ」(NHK・共同脚本)、「静寂の声」(テレビ朝日系)。ノンフィクション作品に『マッカーサーが探した男』(双葉社)、『もうひとつの昭和』(講談社)、『今村昌平伝説』(河出書房新社)など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです