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朝日新聞のトップ記事「路上から武道館へ」は美談なのか?

近藤康太郎 朝日新聞西部本社編集委員兼天草支局長

 こうやって世間を狭めてきた人生だから、自分のことは全部棚に上げて書くが、この前の朝日新聞夕刊1面のトップ記事「路上から武道館、夢貫いた普通の子 CD8万枚手売り」に、どうも引っかかった。飲み下せず、のどに異物感がいつまでも残る。

 新聞にはいろんな記事が載っていいし、問題にしてるわけじゃないが、自分の異物感の正体をつきとめることには、いくばくかの意味はあるかもしれないので、考えてみる。なお、本稿執筆中のBGMは「ボブ・ディラン at Budokan」。影響されるかもしれない。

 小さいころから歌手に憧れていた宮崎奈穂子さん(26)は、大学生時代からレコード会社にデモテープを何本も送り続けたがチャンスをつかめず、就職活動の時期を迎えた。「可能性を試しきらないで就活をしたら後悔する」と、渋谷駅前に立って歌い始めた。雨の日も雪の日も路上に通った。2010年夏に「ファン会員1万5千人を集めたら、武道館で単独公演をする」と目標を立てると、ツイッターなどで共感の輪が広がり、ついに11月2日に武道館公演を実現させた……とまあ、そういうお話。公演のテーマソングになっている「路上から武道館へ」は、こう歌う。

 いつからだろう 私の夢は 満席の武道館のステージに立つこと 

 この話の、どこにも異存はない。宮崎さんもよくがんばって、CDを8万枚も売ったもの。このニュースがうまく「飲み下せない」のは、ひとえにそこが、Budokan(武道館)であるからだ。コンサート当日、チケットを買って会場にいったが、寂しい入りの武道館を見て、「飲み下せない感」は増幅するばかりだった。

 ポピュラー音楽好きならば誰でも知っている。Budokanは、特別な意味を持った固有名詞だ。ビートルズの来日公演に始まり、ボブ・ディランの初来日公演など、数々の名ライブがあった。

 矢沢永吉にインタビューしたことがあるが、日本人ミュージシャンとして初の単独武道館公演をなしとげ、それ以上の目標を見いだせず、海外へ進出したと話していた。

 日本だけで人気があったバンドのチープ・トリックが、本国アメリカでも人気が爆発したのは、やはりBudokanがきっかけだった。日本限定で発売されたライブアルバム「チープ・トリック・アット・武道館」の逆輸入盤がアメリカで売れ始め、全米でも人気バンドとなった。

 ついでにいうと、チープ・トリックは、1990年代には低迷期を過ごし、聞くところによると公園みたいな場所でドサ回りしていた時期もあったようだが、2008年には再び武道館で公演。30年前と同じ曲目で演奏するというファンサービスをしている。

 今はもっと動員数の多いスタジアム公演が当たり前になり、ありがたみは薄れているが、名だたるミュージシャンが目標としてきたのが武道館。「聖地」みたいなものだ。

 だから、宮崎さんが「私の夢は/満席の武道館のステージに立つこと」と歌うのは、いい。夢は、でかくあってほしい。

 ただ、

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筆者

近藤康太郎

近藤康太郎(こんどう・こうたろう) 朝日新聞西部本社編集委員兼天草支局長

1963年、東京・渋谷生まれ。「アエラ」編集部、外報部、ニューヨーク支局、文化くらし報道部などを経て現職。著書に『おいしい資本主義』(河出書房新社)、『成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか』(水野和夫氏との共著、徳間書店)、『「あらすじ」だけで人生の意味が全部分かる世界の古典13』(講談社+α新書)、『リアルロック――日本語ROCK小事典』(三一書房)、『朝日新聞記者が書いた「アメリカ人が知らないアメリカ」』(講談社+α文庫)、『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』(講談社+α新書)、『朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点』(講談社+α新書」、『アメリカが知らないアメリカ――世界帝国を動かす深奥部の力』(講談社)、編著に『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(文春文庫)がある。共著に『追跡リクルート疑惑――スクープ取材に燃えた121日』(朝日新聞社)、「日本ロック&フォークアルバム大全1968―1979」(音楽之友社)など。趣味、銭湯。短気。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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