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いい加減にしてくれ、アマゾン

近藤康太郎 朝日新聞諫早支局長

 誤解してほしくないが、キンドルで英書を読むのを、ひそかな趣味にしている。いや、だから誤解しないでほしいのだが、英語ができるって自慢じゃなくって、というか、3年もニューヨークに住んでいたくせに笑っちゃうほどできないから、遅ればせながら、細々、簡単な本を読んで勉強しているのである。

 英語に翻訳した海外文学が、割合簡単で読みやすいのに気付き、最初はチェーホフや漱石を、端からこつこつ読んでいた。最近慣れてきたので、いよいよアメリカ人が書いた評判のミステリーなんか、キンドルで買っちゃって。植草甚一きどり。単純にうれしい。

 ところが、だ。このアマゾンが気にくわない。

 新品で買った電子「書籍」なのに、古本みたいなんだ。キンドルには、ハイライト機能といって、本の気に入った箇所を自由に範囲指定し「ハイライト」(つまり傍線)を引くことができる。ま、つまり、本への書き込み。自分が傍線を引く分にはいいが、他人のハイライトが、あちこちにある。

 小さな数字も添えられている。「この本で、○○人がここに線を引きましたよ」と、ご丁寧に教えてくれている。ほんと、こしゃくというか。ネット企業って、どこもおせっかい。

 古本は昔から好きだ。書き込みの残っている本も、嫌いじゃない。

 蜂飼耳の『空を引き寄せる石』(白水社)に、秀逸な観察がある。たとえば、本の奥付に、「一九五八年四月五日読了」なんて小さな字で書き込まれているのは、いいなと思う。几帳面な若者だったのか。いまはどんな大人になっているだろう。かつて大切に読んだこの本を、覚えているのだろうか。「知らないひとと手を繋ぎたくはないが、繋ぐかな、という気もちになる」と書く。

 書き込みや傍線は、ひとつあれば、たいていほかにも見つかるものだ。逆に、ただ一カ所、という場合はすこし気にかかる。『ガルシン短篇集』には、一カ所だけ、線が引いてある。

 「俺はこんな妙なはめになったことは一ぺんもないよ。腹ばいに寝ているらしく、眼の前にはひとこまの地面が見えるだけなのだ」

 よりにもよって、なぜこの文章「だけ」に線を引くか? 元の本の持ち主も、なんだか妙なはめに陥ったのか。自由を奪われ、腹ばいにさせられている? ある朝、目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変わっているのを発見した、ってか。まさか。でも、想像するだにおかしみがわく。傍線じたいが、ミステリみたいだ。

 その名も『痕跡本のすすめ』(古沢和宏、太田出版)は、傍線や書き込みなど、前の持ち主が遺していった「痕跡」を妄想し、鑑賞する。大笑いで、病的に面白い。

 司馬遼太郎を特集した本の余白に、たったひとこと、赤いボールペンで筆圧強く書き込まれた「負けたくない」。司馬先生に? 国民的作家に? 負けたくない、と? だれですか、この向上心ありすぎの読者は。

 別の本。背表紙のタイトルに刻まれた、たった一文字だけの書き込みは「w」。「虹いくたびw川端康成」。

 これ、なに? (笑)の意味? 「虹いくたび プッ」みたいなこと? ノーベル賞作家、世界のカワバタも、2ちゃん読者の前では形無しか。

 古本に遺された痕跡は、微笑ましい妄想を誘う。対してアマゾンのハイライト(傍線)は、決定的に質が違う。「○○人の人がここに傍線を引きました、感動してました」というのを教えてくれる。

 これはつまり、ここが見どころ、読みどころ、ツボですよ、あんたも盛り上がりなさいよホラ、って言ってるんでしょ? バラエティ番組のうるさいテロップ、お笑い番組につきもののスタッフや観客の笑い声、高校サッカー選手権や正月駅伝の絶叫アナウンサー、「泣ける映画」の盛り上がり系サウンドトラックと同じ。泣け笑え感動しろって、強制してるわけでしょ?

 おせっかいもいいところ。読書とは、もっとも孤独になれる営為。自分と本とだけの関係性において成立する行為だろうに。ハイライト機能だけじゃない。自分は、かなりなアマゾンのヘビーユーザーだと思うが、チェックした本を元に、「ほかの人はこれも買ってますよ」「あなたへのおすすめはこの本」というサジェスト機能も、ホント、うざったい。

 本を読むのは、「人と違った人」になるためなんじゃないのか? 「世間」とか「空気」とかいう、正体の分からない、凶暴な怪物から逃れ、自分一人になる、自分一人で立つために、本は読むんじゃないのか?

 貧乏な高校時代、本はすべて神保町の古本屋で買っていた。「痕跡本」への偏愛はよく分かる。さっきパラパラめくっていたら、高校のときに買ったであろうトルストイ『アンナ・カレーニナ』には、前の持ち主が、青い色鉛筆でやたらに線を引いている。推測するに、どうやらこの人、最近失恋した男らしい。第2巻の終わり。恋に破れた失意の女性キチイの描写にも、力強い青線が引いてある。

 「キチイはすっかり恢復してロシヤのわが家へ戻ってきた。彼女は以前ほどのんきで、朗らかではなかった。が、落着いてきていた。モスクワでの悲しみも、もはや思い出となってしまった。」

 几帳面な字で書き込みもある。 ・・・ログインして読む
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筆者

近藤康太郎

近藤康太郎(こんどう・こうたろう) 朝日新聞諫早支局長

1963年、東京・渋谷生まれ。「アエラ」編集部、外報部、ニューヨーク支局、文化くらし報道部などを経て現在、長崎・諫早支局長。著書に『おいしい資本主義』(河出書房新社)、『成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか』(水野和夫氏との共著、徳間書店)、『「あらすじ」だけで人生の意味が全部分かる世界の古典13』(講談社+α新書)、『リアルロック――日本語ROCK小事典』(三一書房)、『朝日新聞記者が書いた「アメリカ人が知らないアメリカ」』(講談社+α文庫)、『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』(講談社+α新書)、『朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点』(講談社+α新書」、『アメリカが知らないアメリカ――世界帝国を動かす深奥部の力』(講談社)、編著に『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(文春文庫)がある。共著に『追跡リクルート疑惑――スクープ取材に燃えた121日』(朝日新聞社)、「日本ロック&フォークアルバム大全1968―1979」(音楽之友社)など。趣味、銭湯。短気。

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