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[5]第1章 盛り場・風俗篇(5)

「職業婦人」としての女給

香取俊介 脚本家、ノンフィクション作家

 カフェーの大隆盛は一方で女性に「就労の機会」をあたえるものであった。東京市内だけでも2万に近い女給がカフェーで働くことで生計の資を得るようになったのである。

 その点を積極的に評価すべきであるという意見があった。確かにカフェーの女給は旧来の花柳界のような「年季」という契約で強く縛られることがなかった。

 ところが別の問題があった。チップ制度である。大半の女給は固定給ではなく、チップが収入源であった。チップとは祝儀であり、客が任意にあたえるものである。

 「客がみんなチップをおいていくとは限らない。なかには、出て行きがけに釣り銭の銅貨までかっさらって、そのままぷいと出て行く客もある。女給からみたら『無銭飲食』のようなもの。こういう無粋者を昔は『鉄砲』といったそうだ。その後、兵器の進歩発達とともに、「飛行機」というようになった。胃袋を満たすと共に、ポーンと急いで飛び出してしまうからだ、という(『カフェー』村島帰之)。

 村島によれば、チップ制度のもとにあるのは、東京では8割2分、大阪が8割6分である。チップ制度があるからこそ女給は客に媚態をしめし、サービスをするのである。

 「女給を娼婦化するのは、彼女自身でも、営業者でも、また客でもなく、全くこの『チップ制度』である」と村島は結論づける。

昭和初期の九州・博多東中洲のカフェー

 チップの額の多いのは主として常連客である。彼等がカフェーに足繁く通うのは、料理でも酒でもなく、「恋人にあいびきに行く」ことを意味するとして、更に、

 「女給が給料をもらわないカフェーに、頭をさげてはいっていく理由は、彼女がそこを自己の作業場をする権利を、営業者によって認可してもらうためである。女給自身は、営業所というものを所有していない。彼女たちは、営業者の許可を得て、そのカフェーで働くのではなくては、客を迎えることができない。客を迎えなければ、彼女の収入にはなりえない(中略)換言すれば、女給はチップを目的に働くが、その目的達成のために何らの反対給与なしで、カフェーの仕事に従うのであって、女給とカフェーの関係は、そのカフェーにおいて女給稼ぎをなす権利を得た女給と、これを容認する営業者の契約関係にすぎない。雇う者と雇われる者との関係純粋の雇用関係ではないことはもちろんである」

 この関係はまったくの「自由関係」であり、いつでも一方の意志によって契約を解くことができる。その点、前借り金にしばられ意志に反して「労働」をつとめなければならない芸娼妓とはちがう。

 さらに女給の特色として、この仕事が熟練もしくは教育を要しない、つまり若くさえあれば経験を要しないので、いくらでも「供給源」があるということであった。

 世界恐慌の余波で企業の倒産や失業者が町にあふれるなか、カフェーは若い女性たちに「就労」の機会をあたえる場になっており、カフェーを積極的に評価する論調もあった。

 「(カフェと縁の深い)女給は、日本の封建制度が生みだした、一連の女たち、娼妓、小料理女、等等の資本主義治下における代権者として、新時代的な自由人のかしづく女として登場したのである。これを換言すれば、カフェは、日本の女郎屋制度やゲイギ制度のハカイ者として、外国カフェの影響の下に変形してあらわれて来たのだ」(『エログロカフェ・女給の裏おもて』)。

■カフェー隆盛の影響

 こうしたカフェーの大隆盛について雑誌なども特集を繰り返し組んだ。『婦人公論』は1929(昭和4)年10月号で「妻のカフェ見学」という特集で、7、8人の主婦を銀座の有名なカフェー見学に行かせ、その写真や印象記などを掲載した。

 「思っていたより清潔」といった意見があるかと思うと

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