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「純と愛」への反応から見える、世間の「朝ドラ」に対するファンタジー

西森路代 フリーライター

 「純と愛」の脚本家、遊川和彦の作品といえば「家政婦のミタ」があるが、この2作品に通じるのは、固定概念や固定化した男女の役割によって生じる出来事をわざと大げさに描き、その価値観は必要なのか? と問うところにあるように思う。

 「純と愛」は、これまでのNHKの朝ドラでよく見られた、頑固な父親像、健気なヒロイン、献身的な母親像などを誇張して描いていて、そのことで、朝ドラでは当たり前だったこれらの価値観に違和感や疑問を抱かせる。

 例えば、これまでの朝ドラには、封建的で娘や妻を怒鳴り散らす父親は必ず出てくるが、父親が理不尽に娘を怒鳴りつけるシーンがあっても、それは父親の愛情からの行動であったり、時代がそうさせた行動なだけで、単に父親のエゴではないとフォローのシーンが用意されている。

 しかし、「純と愛」になると、武田鉄矢演じる父親が娘や妻を怒鳴った後に言い訳のシーンはなく、単純に自分のプライドを満たすためであったり、家業のホテルを存続させるためのエゴから来ていることをはっきりと描いている。

 もしかしたら、ずっと後になってフォローのシーンが出てくる可能性はあるが、遊川和彦自身が「あんたは俳優になって40年間も良い役ばかりやっているので、ここからは悪い役ばかりやって死んでくれ」と言って武田鉄矢にこの役をオファーしたという記事が「女性セブン」にもあったので、このまま父親の人間性に対するフォローはないかもしれない。というか、「それも含めて人間だ」というのが遊川作品だともいえるだろう。

 また、健気なヒロインは、健気であることでたいていの問題が解決できることが多いが、この「純と愛」のヒロインの「純」は、健気で率直であることを周囲に押し付けようとすればするほど、墓穴を掘ってしまう。

 こうしたヒロインの純のキャラクターが、これまでの朝ドラファンにはすこぶる不評のようで、「ギャーギャーうるさい」とか「押しつけがましい」などと批判の元となり、視聴率にも影響しているという。

 しかし、このドラマの目的が、「朝ドラ」という固定概念に一石を投じるというものだったとしたら、この目論見は成功しているのかもしれない。

 また、視聴率のせいで酷評する記事も多いが、ツイッター上では、ハッシュタグを使ってその日の放送についての肯定的な発言も数多くみられる。「家政婦のミタ」のときは、あまりにもセンセーショナルな筋書きがネット上で話題になり、それが逆に視聴率の上昇に結び付いた部分もあったというから、ここからの視聴率の上昇や、一部のコアなファンを生むということも考えられる。

 しかし、現時点では、世間の朝ドラに対する幻想は、製作者が考えていたよりも大きかったと見るほうが正しいだろう。朝ドラファンにとっては清楚な見た目のヒロインが社会への疑問を感じながらも健気に成長していく方が安心できるものなのだろう。

 ただ、このドラマには ・・・ログインして読む
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筆者

西森路代

西森路代(にしもり・みちよ) フリーライター

フリーライター。1972年生まれ。愛媛と東京でのOL生活を経て、アジア系のムックの編集やラジオ「アジアン!プラス」(文化放送)のデイレクター業などに携わる。現在は、日本をはじめ香港、台湾、韓国のエンターテイメント全般について執筆中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)がある。

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