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『アウトレイジ ビヨンド』、恐るべし!(3)――<音声演出>の絶妙さ、<顔>の強度 

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

『アウトレイジ ビヨンド』では人物/俳優のセリフ回し、というか声の出し方/発声も、じつに精妙に演出されている。

 ある批評家は、バカヤロー、コノヤローという怒声の応酬だけで押し切った点に『ビヨンド』の痛快さがある、と書いていたが、それはまったく違う。なるほど、登場人物の多くが、しばしば凄みを利かせた怖い顔で怒号を発しあい、罵倒しあい、あるいはドスの利いた声で劣勢に転じた相手を恫喝し、萎縮させ、震えあがらせる。

*だが、他方で北野武は、怒号合戦の場面で興奮した観客の脳を鎮静させるかのように、人物たちが囁(ささや)くような、つぶやくような小声で喋る場面を、一度ならず作中に挿入する。

 とりわけ、声をひそめて喋る加藤/三浦友和の冷静な口ぶりや、大半の場面では頭のてっぺんから出るようなキンキン声で吠える石原/加瀬亮が、低くこもったような声で喋るところも印象的だし、何を考えているのかわからない無表情でゆっくり喋る、花菱会の老会長・布施/神山繁の抑揚を欠いた発声も不気味だ。

*さらに、韓国と日本を股にかける大物フィクサー、張大成/金田時男も、その右腕の李/白竜(!)も終始、寡黙だし、花菱会のヒットマン、城/高橋克典に至っては、寡黙どころかセリフが一切なく、ただ黙々と標的を消してゆくだけだ(城は、なにやらデウス・エクス・マキーナ/機械仕掛けの神のように突然現われ、あれよあれよという間に何人もの人間を射殺してゆく。巧みな人物設定である(デウス・エクス・マキーナ/機械仕掛けの神とは、古代ギリシャ悲劇における、前触れもなく突然ドラマを解決に導くもの、ないしは手法のことだが、この連載(2)で述べたように、こうした比喩ではない実物の<機械>も、『ビヨンド』の“主役”のひとつだ)。

*また、軽口をたたくようにぺらぺら喋り、相手に取り入る悪徳刑事の片岡/小日向文世の口調も、強面(こわもて)のヤクザ連中との対比においてこそ、その軽妙さがきわだつのである。

 要するに『ビヨンド』は、たんにヤクザたちが怒声を浴びせあう映画などでは全くなく、前述の暴力描写同様、足し算(大声)と引き算(小声、沈黙)とがバランスよく釣りあい、緊迫感を相乗的に増幅している映画なのだ。

*さらに<音声演出>の点で興味深いのは、後半、無言のまま歩く加藤/三浦友和の映像に、彼がその直前に喋ったセリフがかぶさり、その声がいくぶん画面外のモノローグ(独白)かナレーションのように響くところだ(画面外/オフスペースで会話が交わされるシーンは前作でも、また『ビヨンド』の巻頭にもあったが、この場面では、シンクロしない人物の映像と彼のセリフというかたちで、より芸の細かい画面外音声の活用がなされるのだ)。

 しかも、そこでの加藤/三浦の動きはスローモーションになっていて、彼の声と身体の動きのズレはいっそう強調され、なにか不吉な殺気のような気配が画面にたちこめるのだ。

 そもそもこの場面の冒頭では、まず黒画面が挿入され、加藤/三浦の声が数秒間流れるという、ちょっとゴダール的な音声/映像(ソニマージュ=son/image)構成がなされていて、ハッとさせられる(これまた、会話場面を飛ばすという、時間省略の手法でもある)。

 そして、この場面で観客が感じとった不吉な予感は、少しあとのパチンコ屋のシーンで的中する。

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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