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[6]第1章 盛り場・風俗篇(6)

カフェーの女給の実態

香取俊介 脚本家、ノンフィクション作家

 では、女給の実態、とくに経済状態はどうであったか。『職業婦人物語』(前田一)によれば、女給の平均収入は1カ月50円であった。ただし、この中から「出銭」をとられる。これは女給が雇われている店に毎日天引きされる「経費」であった。大学卒の初任給が70~80円の時代である。

 次のような「店則」をもうけているところが多かった。

1)一般に、コック場から女給が受け取った飲物、料理等の代金は女給の責任となっていて、たとえ客が無銭または強請の場合でもすべて女給が帳場に支払う。そのため品目を列記した勘定書をださない店では、勘定をごまかす女給もいて、人の良い顧客は余分の払いをさせられる。

2)「出銭」と称して、女給の出勤に対して一日につき30銭ないし50銭を徴収する店が相当ある。いわゆるチップを余分にだすような客の多い店ほど、その額が多いという。この出銭は、コックの所得となる店と、店の雑費とする店があり、なかにはこれを積み立てて、店員の園遊会等の費用にあてる店もある。

3)女給のもらったチップの1割ないし2割5分を徴収する店もある。これを俗に頭刎(あたまはね)といっている。

 取り締まる側としては、店の設備や店内での「猥褻行為」等に目を光らせる一方、「就労の実態」についても実態調査にのりだし、カフェーがうたっている「モダン」の裏にひそむ「あくどさ」を新聞・雑誌等を通して世間にPRしたりした。

拡大カフェーの女給たち(「アサヒグラフ」1930年10月8日号)

 銀座についてさまざまな「社会探訪」の記事を書いた松崎天民は、カフェーの女給たちに同情的でこう記す。

 「誰も彼もが生計の喘ぎに営々として、並大抵のことでは一人口を糊することの出来ない今日、彼の女達が身を挺して、カフェーの女となる覚悟には、悲壮な感情さえ流れていよう。ただ職業に同化することに依って、遂には性的危地に身を堕落せしめ、十人に二人か三人の割合に、情話のヒロインとなるのである。その一面の職業婦人的破綻を見て、カフェーの女に私娼行為が多いなどと、道徳的批判を下しているのが、今日の大勢なのであります。

 これを愛欲の方面から見ても、今日の時世に於いて、若い男と若い女とが、最も容易に、最も安価に、一挙手一投足の労で、相接近し、相交錯し得る舞台は、カフェーより他には無い。そこに近代カフェーの発達史があると共に、そこに近代女性史の一部門が、如実に展開していることを、何人が否定し得ましょうぞ。現代銀座の進化して来た跡を省みても、カフェーの出現という一事が、如何に銀座の繁栄に情味づけ、銀座の賑わいに色彩づけたか知れないのである」(『銀座』松崎天民)

■東京でも取り締まり強化

 カフェーが増え続け「社会現象」から「社会問題」になっていくなか、東京においても当時の官憲がこれを放置しておくはずもない。新しく警視総監に就任した丸山鶴吉が積極的にカフェー撲滅を宣言した。

 「いいか、片っぱしから弾圧だ。ダンスホールは根絶する方針だし、カフェは食堂化してしまう下心だ。女給――ありゃ一体何じゃ。あんなものが白いエプロンなんかかけて、いっそ小田急で逃げましょか、なんてやってるから、親のすねかじりが勉強せずと、カフェなんかに入り浸って、自分で働いた金でないくせに、チップなんぞ切るのじゃ。はなはだけしからん第一学生などが!」(東京朝日新聞、昭和4年9月15日付)

 この取締令は業者ばかりでなく、総数2万に近い東京市の女給たちにも向けられていた。長年女給たちが廃止を望んでいた「出銭」について、これを廃止するという文言があったため、女給たちにとって当初、取締令は朗報に見えた。

 一方、業者には相当厳しい規制であった。以下に該当するものは、新規営業や店を移転しての営業は不許可にするというものだった。

イ)市街地にありては百米以内、その他の場所では五十米以内に同種営業所があるとき

ロ)百米以内に学校のあるとき

ハ)構造設備が左記に該当するときは改造を命じ若しくは不許可とすること

 (A)別室または隔壁にして風紀を紊(みだ)る趣きのあるとき

 (B)客用の浴槽または舞台を設くるもの

 (C)照明著しき暗きもの、または異様にわたるもの

 当局はそれまでも繰り返しカフェーおよびそこで遊ぶ若人にたいして取り締まりを強化していた。以下、新聞に掲載された関連のニュースである。

 朝日新聞の1927(昭和2)年8月3日号は「ゆうべ銀座でモダンボーイ征伐 カフェーや酒場を襲って百五十名の大検挙」と大見出しでこう報じた。

 「警視庁では突然一日夜八時から警視庁不良少年係りの飯島警部を指揮官に十数名のいずれも腕利きの刑事を総動員し、築地、北紺屋署と協力、二日払暁二時にわたる間一方は京橋、他方は新橋までに刑事の伏兵を配置し、その他は一斉に銀座街のかねてモダン連殊にラッパズボンを目標にして大検挙を行った」

 投書があったようで、この件での検挙数は150名を超えた。

 この類の記事は毎週のようにどこかの新聞に載った。

■満洲事変の影響

 東京だけでもすでに2万人を超える女給が働いている「職場」である。警察当局もすべての店に厳しい監視の目を光らせることはできない。

 一方、日本社会の空気が変わりはじめていた。きっかけは1931(昭和6)年9月に勃発した満洲事変である。「事変」と呼んでいるが、外国との本格的な戦争勃発である。

 事変によって国内の空気もがらりとかわり、軟弱なもの、猥雑なものを排除する動きが、庶民レベルでも生まれた。呼応するように、カフェーに対する当局の取り締まりも一段と強化された。

 決定的であったのは、

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筆者

香取俊介

香取俊介(かとり・しゅんすけ) 脚本家、ノンフィクション作家

1942年、東京生まれ。東京外語大学ロシア科卒。NHKをへて脚本家、ノンフィクション作家に。「異文化摩擦」と「昭和」がメインテーマ。ドラマ作品に「私生活」(NHK)、「山河燃ゆ」(NHK・共同脚本)、「静寂の声」(テレビ朝日系)。ノンフィクション作品に『マッカーサーが探した男』(双葉社)、『もうひとつの昭和』(講談社)、『今村昌平伝説』(河出書房新社)など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです