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『カリフォルニア・ドールズ』を見ずに死ねるか!(3)――ドールズ・コールは鳴り止まない!

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 めくるめく祝祭感とスリルが渾然一体となった、『カリフォルニア・ドールズ』のラスト・クライマックスはどう描かれるのか――。

 リノのカジノホテル「MGMグランド」でおこなわれる、“ドールズ”対“虎”の決勝戦の開始直前、アイリスとモリーへの観衆の大声援“ドールズ・コール”の反復が、ある種の音楽性を帯びて場内に響き渡り、それと子どもたちの歌う心躍る「カリフォルニア、ヒア、アイ、カム」とがいわば二重唱となって画面を席巻するなか、二人の筋肉隆々のボディビルダーに先導されて、銀色に光り輝く衣裳を身にまとって“ドールズ”が入場するシーンを見る者は、もう涙が止まらなくなる。

 だが、この場面がこれほど心を揺さぶるのは、物語をベタに感傷的にしないよう、小味のきいたギャグを含むさまざまな映画的アイデアをしかけてみせる、やはりアルドリッチの強靭(きょうじん)かつ繊細な演出力、構想力、そして着想力のゆえだ(しかしそのせいで、われわれはかえって涙腺を刺激される、という幸福なジレンマに陥るのだが)。

 たとえば“虎”の二人が先に入場しリングに上がり、“ドールズ“が例のごとく銀色のギラギラ衣裳で登場するまで、アルドリッチは観客の気を持たせるよう、かなりの”間“をつくり、宙吊り=サスペンスの時間をフィルムに穿(うが)つ。

 アルドリッチはいわば、じっくりとタメをつくって観客を十分にじらしておいて、しかるのちに観客を一気に宙吊りから解放する、という超美技をやってのけるのだ。

 要するに、この“ドールズ”入場の場面では、観衆の大歓声の音楽的反復、ハリーの合図で歌い出す子ども(じつはハリーが小遣いを払って“買収”しておいたサクラ!)、同様に事前にハリーからギャラを受け取っていて、子どもの合唱の前奏曲を奏でるアリーナのオルガン奏者、そしてバロック的に装飾された“ドールズ”の衣裳といった、さまざまな意表を突く趣向が一点に凝集し相乗され、信じがたい映像と音響の祝祭を炸裂させるのだ。

                         *

 むろん、この“ドールズ”入場という見せ場は、雌雄を決する“虎”との対戦=最後のヤマ場への導入部でもあるが、くだんの試合のシークエンスでも、苛烈なレスリング描写に加えて、さまざまな映画的な工夫がこらされており、見る者は一瞬たりとも息を抜けない。

 とりわけ、悪役/ヒールを対戦相手の“虎”ではなく、3人の宿敵ともいうべき悪徳興行師エディ/バート・ヤングと、彼に買収されたレフェリー(リチャード・ジャッケル)に振りあてた人物配置が、このシークエンスの面白さを倍加している。

 リングサイドのエディとアイコンタクトを交わしたレフェリーは、“虎”のチョーク(反則)攻撃を何度も見逃し、“ドールズ”を劣勢に追いこもうとするが、試合終了間近、いったんは場外に投げ飛ばされた“ドールズ”は、 ・・・ログインして読む
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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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