2012年12月04日
山田氏はこう言う――「もしそこ[B級映画]に監督の自己主張というものがあるとすれば、それは、<演出そのもの>なのである。演出とは「すべてを現在化すること」だとアンドレ・マルロオが定義したように、すべてのアクションをいきいきとさせること、すべての音と映像が<現在形>で観客の心に効果的にドラマティックにはたらきかけるようにすること、にほかならないだろう」(『新版 映画この心のときめき』、早川書房、1989、49頁)。
このことを、『カリフォルニア・ドールズ』に即して私の言葉で言いかえるなら、以下のようになろうか。
すなわち、一種の舞台裏/バックステージものでもある本作が、レスリング・シーンという<表舞台>を描くヤマ場だけでなく、<舞台裏/楽屋>や巡業場面を描く“ダレ場”にあっても、作中につねに観客の意表をつく小波乱、練られたセリフ・ギャグ(たとえば「初め悪けりゃ終わりよし」といったハリーのセリフ=格言の引用など)、そしてあの、ハリーの車をロングで撮ってカー・ステレオから流れるオペラを画面外のBGMとして使う卓抜な演出などを、切れ目なく繰り出す映画術こそ、観客を<持続的に/現在形で>画面に惹きつける秘訣である、と。
ともかく、大枠の物語設定や人物配置と、さまざまに工夫されたディテール(セリフ、趣向、意匠、道具立てなど)が相乗的に加算されることで、本作のような「これが映画だ!」と叫びたくなる稀有なフィルムが生まれるのである。
そして言うまでもなく、こうした傑作は凡手がいくら学習と努力を重ねても撮れるようになる映画ではなく、アルドリッチやドン・シーゲル級の図抜けた才能のみが絶好調時に、しかもさまざまな運を味方につけたときに、おのずと<撮れてしまう>ものに違いない(それはむろん、彼らが準備段階から撮影中にかけて、渾身のエネルギーを傾注していることとまったく矛盾しないだろう)。
*『カリフォルニア・ドールズ』後半のレスリング・シーンがスリル満点なのは、30分間という試合時間を、いわば<時間/タイム・リミットとの競争>として目いっぱい活用しているからでもある。
昨今の過半の映画における、CGを乱用したダラダラと続く活劇場面がさっぱり面白くない理由の一つは、時間の制約をうまく使いこなせずにいるからだ。本作やバスター・キートンの傑作タイム・リミットもの、『セブン・チャンス』(1925、サイレント)という恰好のお手本があるのに、クリストファー・ノーランやらピーター・ジャクソンやら、あるいはリュック・ベッソンやらの有象無象がつまらぬ活劇をつくり続けているのは、彼らが<過去の映画から学ぶ才能>すら欠いているから、にほかならない。
なお最近の映画で、<時間との競争>や音響演出も含めて、本作から多くを学んだとおぼしいラグビー映画の傑作は、イーストウッドの『インビクタス 負けざる者たち』(2009)ではないか。
*前述のように、本作のハリー/ピーター・フォークは、オペラや格言好きの教養豊かな人物でもあるが、彼が車を運転しながら”ドールズ“のふたりに、仕立屋だった自分の父親の思い出話をするシーンがある。
ハリーは“ドールズ”にこう語る――移民だった彼の父親は衣料組合のおかげで、市民権取得を目指して英語を学ぶために学校に通えるようになり、その学校で教師にクリフォード・オデッツとウィル・ロジャーズを読むよう勧められた。そして、幼少時のハリーと姉が何か質問するたびに、父親はオデッツやロジャーズの<格言>を使って答えた、と彼は語るが、“ドールズ”たちは誰のことやらチンプンカンプンというユーモアをまじえた場面だ。が、実はこの二つの固有名詞、オデッツとロジャーズは、アルドリッチの個人史にとっても、また映画史においても重要である。
まずクリフォード・オデッツ(1906―1963)は、アルドリッチの友人だった劇作家・脚本家で、アルドリッチは1955年、オデッツの戯曲を原作にした映画『悪徳』を撮っている。また、オデッツとアルドリッチの共通の友人だった俳優ジョン・ガーフィールドは、1946年に、独立系映画会社エンタープライズ・プロダクションを立ち上げた一人である。
そしてガーフィールドは、同社製作の2本の映画、『ボディ・アンド・ソウル』(ロバート・ロッセン監督、1947)と『悪の力』(エイブラハム・ポロンスキー監督、1948)に主演したが、いずれの作品も修業時代のアルドリッチが助監督をつとめた。アルドリッチは当然ながら、この二人の才気あふれる監督、ロッセンとポロンスキーから大きな影響を受けている。
なお、ロッセンもポロンスキーもガーフィールドも、1950年代のアメリカに吹き荒れた政治的ヒステリー、かの<赤狩り>の犠牲者だったが、アルドリッチは危うくそれをまぬがれた。赤狩りといえば、アルドリッチが助監督をつとめた『M』(1951)と『不審者』(同)などなどを撮ったジョセフ・ロージーも、赤狩りの犠牲となった才能豊かな映画監督だった。
それにしても、アルドリッチが修業時代に助監督についた映画作家は、ロッセン、ポロンスキー、ロージーのほかにも、ジャン・ルノワール、マックス・オフュルス、リチャード・フライシャー、ルイス・マイルストン、チャールズ・チャップリンと、なんとも凄い顔ぶれだ。アルドリッチが彼らから学び消化吸収したことは、いかばかりか――それを想像しただけで気が遠くなりそうだ。
いっぽう、ウィル・ロジャーズ(1879-1935)は前述のように、エッセイストでもあったが、何より、アメリカ最高の喜劇役者のひとりとして、その名を映画史に刻んだ。とりわけジョン・フォードの2本の超傑作、『プリースト判事』(1934)と『周遊する蒸気船』(1935)でロジャーズが演じた、軽妙かつ磊楽(らいらく:度量が広い)人物像は忘れられないが、アルドリッチがフォードに心酔していたことは想像に難くない。
*ロバート・アルドリッチ作品・マイベスト5(順不同)
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