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【2012年 演劇 ベスト5】 「るつぼ」が浮かび上がらせる「異端排除」

小山内伸 評論家・専修大学教授(現代演劇・現代文学)

(1)新国立劇場「るつぼ」

 魔女狩り裁判を描いたアーサー・ミラーの傑作戯曲の上演。宮田慶子の精緻な演出とキャストの熱演により、休憩をはさみ3時間45分の舞台に緊張感が途切れなかった。

 17世紀の米・セイラム。少女たちが森の中でハメを外した遊びをしたことが知れて騒ぎに発展し、少女らは魔女がとり付いたせいだと合理化を図る。やがて少女らの名指しにより、悪魔が憑いているという人物が次々と法廷に召喚され、一方的に裁かれる。

新国立劇場「るつぼ」から。池内博之(右)と鈴木杏=撮影・谷古宇正彦氏

 少女たちを先導するアビゲイル(鈴木杏)は、農夫プロクター(池内博之)の召使だったが、彼と姦通したことがプロクターの妻エリザベスに知られ、解雇されていた。彼女は、プロクターに復縁を迫るが拒絶された腹いせに、彼の妻エリザベスを殺人容疑で告発する。

 法廷では、プロクターの必死の訴え、良心的なヘイル牧師の意見にもかかわらず、少女らの集団ヒステリーに軍配が上がって、エリザベスは有罪となる。茶番がまかり通る狂った世界を描き出している。

 作劇が見事なのは、(1)他愛もない出来事が導火線となる(2)体制側が保身のため取り締まりを厳格にする(3)悪意を持つ者がそれに便乗する、といった段階を手堅く踏まえ、どの時代にも起こりうる冤罪の普遍性をあぶり出しているからだ。

 魔女狩りに託して、初演当時、アメリカで吹き荒れていたマッカーシズムを痛烈に皮肉ったものだ。当時は旧ソ連と冷戦状態にあり、共産主義と関わった文化人の多くが下院非米活動委員会に召喚された。裁かれた演劇人・映画人らは疑いを晴らすため、共産主義運動に関わった人物の名前を挙げるように迫られた。知人を密告するか、法定侮辱罪で有罪になるかの究極の選択だった。ミラーの出世作「セールスマンの死」(49年)を演出したエリア・カザンも、「ウエスト・サイド・ストーリー」の演出・振付などで知られるジェローム・ロビンズらもみな、密告を余儀なくされた。

 演技が粒ぞろいなのは、演出の統率力も大きいだろう。池内は粗暴に見えながら誠実な立場を貫き、理不尽な逆境に立ち向かう姿が勇ましい。裁く側のダンフォース副総督を演じた磯部勉の低音の響きが、理不尽な世界に一定の威厳をもたらした。アビゲイルを演じた鈴木のしたたかな悪女ぶりと、真実を告白するメアリーの深谷美歩の切羽詰まった非力さとの対決。保身に走るパリス牧師を演じた檀ともゆきの狡猾さと、公正さをぎりぎりまで訴えるヘイル牧師の浅野雅博の誠実さとの対決。

 こうした、いくつもの対照を鮮やかにみせた役者たちの奮闘が、ドラマの高揚を生み出した。簡素な美術、対象をしぼった照明も効果的で、暗鬱な時代を鋭く照らし出していた。

 この物語が浮かび上がらせる「異端排除」の寓意は改めて述べるまでもないだろう。国家から組織、地域社会、そしておそらくは子どものいじめや在日外国人の問題まで、この構造が当てはまる事態は現在もなお、枚挙に暇がないのではないか。

(2)ナイロン100℃「百年の孤独」(ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出)

 すぐれて文学的なストーリーの面白さで、これも長尺の芝居を飽きさせないで見せた。アメリカのとある裕福な家族の4代にわたる没落史をつづる。だが、大河小説のように時系列を追うのではなく、時間が大幅に行きつ戻りつする構成に企みがある。

 時間が飛ぶと、状況や人間関係が大幅に変わっていて、その間に何が起きたのか、観客は想像力をくすぐられることになる。会話の端々から出来事を読み取ることができる。

 2世代目、小学校で同級生となったコナ(峯村リエ)とティルダ(大山イヌコ)の長年にわたる友情関係が中心をなす。二人にかかわる人々の人生の歯車がどこかで狂っていったのかが、次第に明らかになる。コナとティルダが通う学校のアンナ先生に強い恋心を抱く年下のカレル(萩原聖人)は、二人にラブレターを託すものの、それが届かない。失意のカレルはやむなくアンナ先生と容姿が似ているコナと結婚する。その行き違いの事情は3代も先になってわかる。

 また、第3世代のフリッツとポニーが恋仲になり、結びつくかに見えたが、ある事情に阻まれて結婚できない。幸福に見えた関係が悲劇に転じ、皮肉な因果に陥る過程を、時系列の順番をたがえて見せたあたりが、パズルを読み解く楽しさをもたらす。

 コナとティルダの一家の樹形図はシンメトリーになっており、精緻に設計図が引かれた芝居だ。何代にも及ぶ複雑な人間関係が捉えやすいのは、役者がいずれも個性的で、人物像が紛らわしくないおかげでもある。キャラの立つ俳優を多数抱える劇団の強みを最大限に引き出した劇作を高く評価したい。

 中央に楡の木を構え、その左右にリビング(室内)と野外という異空間を同居させた美術もユニークだ。家族は時に楡の木に祈ったり、語りかけたりする。そのたびに楡の木は樹液を流し、枝葉をさざめかせる。錯綜したストーリーに「中心」を置いたのも秀抜だ。

(3)演出家・小川絵梨子の仕事(イキウメ/エッチビー「ミッション」、KAAT「暗いところで待っている」、シス・カンパニー「トップ・ドッグ/アンダー・ドッグ」、響人「橋からの眺め」)

 新鋭演出家として注目されている小川絵梨子が、質の高い舞台をいくつも生み出した。「ミッション」は、SF的な要素を日常に持ち込むのが得意な前川知大の新作。主人公の敏腕会社員は、自宅の裏の崖から落石の直撃を受けて負傷する。一方、その叔父は自らが「ミッション」を帯びていて、ある「呼びかけ」に応じて世界を守っていると信じている。それは新興宗教と似て非なるもので、競争から降りた主人公は休暇を契機に叔父に感化されてゆく。ここにエリートとアウトサイダーとの対比がまずある。

 さらに次々と起きる出来事は、偶然なのか必然なのか、多元的に問題提起がなされる。終盤、脆弱だった裏の崖が崩れて自宅が壊れ、一家6人が駆けつける。ここにおいて、偶然と必然が結びつく劇作が巧み。さらに一家6人は6色のパステルカラーのレインコートを着ていて、そこでかかる虹の6色と呼応させている。家族の和解を彩る、演出の細やかさに感心した。

 「暗いところで待っている」も前川作で、超常的な存在に少年がおののく物語。闇と現実とのあわいを肌理細かく演出した。一方、翻訳劇「トップ・ドッグ/アンダー・ドッグ」は下層に生きる兄弟の愛憎を鋭角的に見せた。

 特に好舞台だったのがアーサー・ミラー作「橋からの眺め」。1950年代のニューヨーク・ブルックリンに、イタリア系アメリカ人で港湾労働者のエディー(吉原光夫)は、妻のビアトリス(末次美沙緒)、姪のキャサリン(宮菜穂子)と暮らしている。イタリアから妻の従兄弟マルコ(斉藤直樹)とロドルフォ(高橋卓爾)が不法入国し、その二人をかくまうことで、平穏だった家族が揺らいでゆく。エディーは手塩をかけて育てたキャサリンに愛情を注いでおり、同居したロドルフォとキャサリンが恋に落ちるが、エディーは二人の交際を絶対に認めない。キャサリンがロドルフォとの結婚を申し出ると、エディーはロドルフォたちの不法滞在を入国管理局に密告する。その結果、悲劇が起きる。

 小川演出で優れている場面が二つ。冒頭、語り手である弁護士(中嶋しゅう)が状況説明をするが、それを港湾労働者が集うバーのシーンにしたこと。戯曲にこの指定はない。つらい仕事を終えた労働者たちがたむろする、空気のよどんだ酒場を最初に提示したことで、物語の背景となる移民労働者の鬱積した街がくっきりとあらわになった。

 もう一つは不法滞在の容疑で収監されたマルコとロドルフォらに弁護士が接見する場で、別空間にエディーを立ち会わせた点。マルコとエディーは互いに絶望的に隔たった認識を抱えている。両者を同時に存在させたことで見事な対照を見せた。

 吉原が、持ち前のいい声を生かして嫉妬にかられる心情を好演。語り手でもある弁護士役の中嶋が思慮深げな演技でドラマをかき立て、安定感を醸し出した。

(4)韓国ミュージカル「ジャック・ザ・リッパー」

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