■「千」の誕生――荻野千尋が精神のぜい肉を落とすために
前回に続き、アニメ映画『千と千尋の神隠し』について考えてゆく。
このタイトルにある「千と千尋」とは何だろうか。
千尋は主人公である10歳の少女の名。では千は?
千尋は引っ越しの途中、両親とともに異界へ迷いこむ。疑西洋とアジアと古い日本が混ざったレトロな歓楽街風ゾーンで、両親は並べてあるご馳走をむさぼり喰っているうちに豚と化してしまう。やがて暗くなり灯がともって街は活気を帯び、さまざまな妖怪のごとき者たちが往来を充たし、千尋も帰れなくなる。
パニックへ陥る彼女を、正体不明の美少年ハクが救い、こう諭す。町の中央にそびえる巨大な湯屋の主である魔女へ雇ってもらうよう懇願せよ、今は、それ以外、生き残る途はないと。
「ここで働かせてくださいっ!」。生まれてはじめて、絶望の底からサバイバルへ向かって小さなからだをぶつける千尋の訴えを不承不承認めた魔女湯婆婆は、契約書に書かれた荻野千尋という名を、「ぜいたくな名だね」と吐き捨てるようにいい、「今からお前の名は千だ」と宣告する。
近代的な社員採用ではない。月給が出るわけでもない。相部屋と食事が保証されるだけの女中奉公である。千尋が少年ならば丁稚奉公だ。そう考えれば、これは決してフィクションではない。昭和30年代の喜劇映画『番頭はんと丁稚どん』を観ると、大阪の老舗薬種問屋で丁稚は皆、名前一文字に「松」をつけられ、主人公崑太は「崑松」として働かされている。大学出で番頭(幹部)候補生の清治ですら、店では最初は清松、小番頭となると清七と呼ばれるのだ。
平成の世でバブル気分が抜けない両親に「荻野千尋」として甘やかされてきた娘は、前近代の過酷な労働を仕切る湯婆婆から見れば、「見るからにグズで甘ったれで泣き虫で頭の悪い小娘」でしかない。その実体からすれば、「千尋」という名はなんとも身分不相応な「ぜいたく」なのである。女中なら「千」で充分だ。呼びつけやすいという経済的合理性もある。
すなわちこの物語は、「千尋の神隠し」ではないのだ。いつも庇護してくれる両親から切り離されたばかりでなく、平成日本の豊かさという私たちが生きる日常の大前提をも外された場所へ「神隠し」された少女の冒険なのだから。
あらゆる上げ底が抜けていって、はだかの等身大までに自分が還されたところからの出発。監督宮崎駿は、そうした状況をとりあえずよいこと、必要なこととして描いている。監督は、この千尋など90年代の作品に頻出する少女ヒロインを「等身大」と称されるのを不快がっていた。さもあろう。平成日本に等身大の子供などいない。上げ底の安逸をむさぼる「ぜいたく」な坊っちゃん嬢ちゃんばかりである。

『千と千尋の神隠し』でベルリン映画祭の金熊賞を獲得した宮崎駿監督=2002年
映画のプログラムのみならず、あちこちに掲載された監督のマニフェスト「不思議の町の千尋―この映画のねらい」にはこうある。
「困難な世間の中で、千尋はむしろいきいきとしてゆく。ぶちゃむくれのだるそうなキャラクターは、栄華の大団円にはハッとするような魅力的な表情を持つようになるだろう」
すなわち神隠しによって、精神のバブルという贅肉が落ちるのだと。
しかし、である。それはこの物語の一面でしかない。映画は「千の神隠し」でもまたないのだから。
■カエルとナメジクとオットセイ――宮崎駿の視たニッポンの会社
千にされた千尋が働かされる巨大な湯屋「油屋」は、八百万の神さまたちが疲れを癒しにくる温泉ヘルスセンターのような施設だった。目黒雅叙園と道後温泉を合成し、チベットのポタラ宮殿的な規模へバージョンアップしたごとき「油屋」の描写は、絵の力で観客を魅せるものであるアニメ映画、それも1ミリのディテールをもおろそかにしない描きこみが積み上がって壮大な光景を出現させて止まない宮崎駿ワールドの真骨頂だろう。
和洋漢折衷、いやごちゃまぜの日本的バロック(悪趣味ともいう)な建築意匠を背景に行き交う牛鬼、なまはげ、春日神、おおとりなど、水木しげる翁が描く妖怪とまがう姿で私たちの目をひきつける日本古来の神々。幾多の広間へ続々と運ばれ空間を満たしてゆく山海の珍味、満漢全席といった言葉を文字通り極彩色のパノラマとして展開したような膨大なごちそう。これでもかと繰り出される過剰さが、物語の一背景として過ぎてしまう贅沢さ。
その光景のなかには、千の上司や先輩同僚である油屋の従業員たちもいる。番頭や下男、下足番など法被を着た男たちは、みなカエルだ。女中か仲居、また湯女であるらしい女たちは、平安朝の女官と神社の巫女を合わせたような風体だ。設定では彼女らの正体はナメクジなのだという。
彼らについて宮崎監督はこんな風に語る。
「湯屋にいるカエル男たちはね、背広を着ている日本のおじさんたちにそっくりでしょう」(『別冊COMICBOX vol.6 千と千尋の神隠し 千尋の大冒険』ふゅーじょんぷろだくと)
徳間康快社長の葬儀委員長を務めた時、監督は挨拶して通る首相や外務大臣をはじめとする来客みんなが、蛙にみえてしかたなかったという。リボンをつけて挨拶している自分も蛙だなと思ったそうだ。
「僕らの日常ってカエルやナメクジみたいなもんじゃないかと思っているんです。自分も含めて難しいことを言ってる蛙のようなものだと思ってますから」(『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』徳間書店)
また、こうしたインタビューで宮崎監督は繰り返し、あの湯屋はジブリで、千尋はそこへいきなり放りこまれた新人の女の子のようなものだと語っている。これは、湯屋がアニメ制作現場だとか千尋がクリエイターの卵だとかいう比喩ではあるまい。
この時の「ジブリ」は、「日本の会社」といった程度の意味で持ちだされている。すなわち、大人たちのくすんだ「世間」だ。かつて金子光晴は文壇「世間」を口が臭いオットセイの群れに喩えたが、宮崎駿には会社にうごめく日本人たちがカエルとナメクジに見えたのである。