2013年01月18日
ドラマ、それも連続ドラマの感想は放送が4分の3は終わったあたりで書くべきもんだろう。
……といいつつ『八重の桜』の1回目と2回目を見ただけで感想を書きますが、
「これは久しぶりに大河ドラマらしい大河ドラマ」
ですよ!
大河ドラマの基準をどこに置くか、というのは年齢によって変わってくるだろうが、半世紀生きてきた私の基準は『天と地と』から始まって『おんな太閤記』で終わった、って感じだろうか。『勝海舟』『花神』『黄金の日々』なんてあたりが「気分的に最盛期」だ。
その「私の最盛期」の大河ドラマの匂いが、『八重の桜』にはある。
これには驚いた。去年、『平清盛』を見始めて、「この力の入れようは最盛期の大河に近いものがあるかも……」とコブシを握りしめ、しかし見始めて5分ぐらいでゲンナリし、「いや、やはり、大河の香りをただよわせる清盛を見るべきか……」と再び見て、またすぐゲンナリ……ということを繰り返したことを思い出した。
去年の私はムリしてたということがよくわかった。『八重の桜』を見たら『清盛』なんぞ大河の足元にも寄れん。
と、書きますと、どんだけ『八重の桜』が素晴らしいかとお思いでしょう。
どう素晴らしいか、ということをご説明する前に、まずちょっと放送開始前のことを。
放映前は、『八重の桜』って、なんだかいやーな感じだったのだ。
まず、新島八重関係の書籍が大河をあてこんでバンバン出た。これは大河がはじまる時につきものの、年に一度の本屋行事なんですが、この新島八重関連書籍、どれも新島八重の顔写真がついており、その……他に写真はなかったのか。その当時、そうたくさんは写真なんか撮らなかっただろうし、八重さんとしてもこれが渾身の一枚だったんだろうが、それにしてももうちょっとどうにかならなかったのか……というおばさんの鹿鳴館スタイル。これは要らなかった。ないほうがよかった。
そして、「ならぬものはならぬ」というあのスローガン。
これは一体、どういう意味合いで使ってるのか。
「ならぬものはならぬ」で思い出すのは、ドラマの『必殺シリーズ』に出ていたエロ尼が押し倒されて「なりませぬぅ~」と言うおきまりシーン……ではなくて、なんといっても土井たか子だろう。社会党委員長土井たか子の「ダメなものはダメ」。これで一世風靡したというのに、そんな社会党ももうないとはあらためて驚きますね。
これは「保守勢力に対するリベラルからの確固たる意思表示」であったわけだが、では『八重の桜』における「ならぬものはならぬ」はどういう意味合いなのか。
新島八重を主人公にした作品になったのって確か、東日本大震災を受けて東北を舞台にしたものになった……とか言われてなかったか。そこにもってきて土井たか子を思い出さないわけにいかない「ならぬものはならぬ」とくれば、これはNHKが打ち出した、明確な、
「反原発メッセージ」
ということになる。
それならいいんだけど、なんか、こう、番宣などで繰り出される「ならぬことは、ならぬ」っていう台詞が、保守的なオヤジが好んで言うタイプの、「何かやろうとするのを阻止する文言」に聞こえるんだよなあ。
もちろん、幕末で会津の娘が主人公っていうアラスジからいって、その両方の意味が出てくるに決まってるんだろうけど、ダブルミーニングで深みが出る、という良さはなく、ただ「どういうつもりで使ってんだ?」と居心地悪い気分になるだけなのだった。
そんなわけで、見る前にはまるっきり期待してなかった『八重の桜』。
はじまった瞬間に「うっ、これは」と姿勢を正す感じになった。
私にそうさせた理由は明快だ。
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