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『映画 鈴木先生』が描く日本社会の縮図

松谷創一郎 ライター、リサーチャー

■社会のひな形としての中学校

 『映画 鈴木先生』は、全国35スクリーンの規模で公開された。ドラマの映画化としては、非常に規模が小さい。その理由は簡単だ。2011年の4~6月にテレビ東京系で放映されたドラマ版の平均視聴率が2.06%と極めて低かったからだ。

 しかし逆に考えれば、この映画化がいかに異例だということもわかるだろう。映画化されるほどクオリティが高く、熱心なファンがいたからである。事実、民放連賞テレビドラマ番組部門最優秀賞やギャラクシー賞テレビ部門優秀賞などを受賞し、DVDセールスも好調だった。

 原作は武富健治によるマンガである。全11巻で中学2年生の1クラスの1・2学期が、主人公である青年教師・鈴木先生を中心として描かれる。2006年、突然登場したこの作品は当初から大きな注目を浴びた。70年代の劇画を連想させる独特なタッチはもちろんのこと、教え子に密かに欲情している鈴木先生などコメディとしての魅力もあるが、やはりその特徴は、生徒たちの間で起こる事件を鈴木先生がいかに解決に導くか、そのプロセスにあった。

拡大『鈴木先生』(主役の長谷川博己)

 事件と言っても、外部から見ればそれは中学校という小さな世界で起こるコップの中の嵐でしかない。しかし、『鈴木先生』の醍醐味は、このコップの中の嵐を入念に描き込み、大人である鈴木先生の煩悶を通すことで、それが社会問題と同根を持つことを顕わにするところにある。

 つまり、社会のひな形としての中学校を描くことに成功したのである。ドラマ版も、こうした原作の魅力を維持しながらも、独自の映像テイストを加えた自然な実写化に成功していた。

 今回の映画版は、冒頭のタイトルバックに「Lesson11」(第11話)と出るように、ドラマのその後を描いた物語だ。単行本では8~11巻まで描かれる「生徒会選挙」と「神の娘」を原作としている。脚本家・古沢良太によって2時間に再構成された映画は、原作を損なわないどころか、2編を組み合わせたことによって『鈴木先生』の本源的なテーマをより一層鮮明にさせた。

 生徒会選挙では、鈴木先生(長谷川博己)の同僚である足子先生(富田靖子)が、前回の選挙での無効投票の多さを疑問視し、「全員参加で実現する公正な選挙」との標語を掲げる。あまりにも無効票が多ければ記名による選挙のやり直しが決められ、鈴木先生も疑問を抱きながらも賛同する。

 一方、学校の近所の公園では、過去に中学の同級生だったユウジ(風間俊介)と満(浜野謙太)の青年ふたりが、ベンチに座ってタバコを吸う日々を送っている。半ば引きこもり状態で、自宅にも居づらくなっている彼らにとって、公園は息抜きができる唯一の場所だ。しかし、足子先生の要請により、そこにも「不審者出没注意」との看板が置かれ、灰皿は撤去される。

 並行してまったく無関係かのように進むこの2編だが、その底流を成すのは同じテーマだ。一言であらわせば、それは「余剰(グレーゾーン)の可能性」である。しかも、それは国民や市民も参加する選挙や、誰もが共有できる公的空間という、強い一般性を持つ題材で描かれる。

■余剰の排除によって失われること

 生徒会選挙のプロセスで思い出されるのは、2012年末に行われた総選挙や、それから3日後に行われた韓国の大統領選挙だ。この両者で見られたのは、有権者に対して投票に行くことを積極的に称揚する主張である。

 日本の総選挙では、脱原発派が投票率の向上により組織票の影響力低下を期待した。韓国の大統領選では、20~30代の若い世代が、進歩系の立候補者を当選させるために若者へ投票に行くように呼びかけた。しかし、『映画 鈴木先生』は、投票率の向上を善きこととするこうした姿勢を安易に肯定しない(逆に安易に否定もしない)。

 実際、今回の総選挙では、史上最低の投票率を記録しながらも、無効票は過去最高を記録した。これは比例区には投票したものの小選挙区では投票しなかったゆえの結果ではあるが、有権者が無効票を投じたことに違いはない。『映画 鈴木先生』は、この無効投票の意味について問題提起をするのである。

 一方、公園の灰皿と「不審者出没」の看板は、公的空間の可能性について考えさせる。舞台となっている住宅街の公園とは、現実的にも、平日の日中に成人男性がもっとも居づらい場所だ。そこにいるだけで不審者扱いされ、忌み嫌われる。しかも、タバコを吸える場所もどんどんなくなっている。

 フリーターのユウジと満にとって、公園とは自宅でも職場でもない第三の空間であった。そこでは私的な関係からも、公的な関係からも自由でいられる場所だった。しかし、そこにも厳格なルールが適用されて彼らは居場所をなくす。こうして社会から余剰(グレーゾーン)は排除され、ユウジは第四の空間を求め、凶器を持って学校の屋上に向かう──。

 『映画 鈴木先生』が提起するこの問題群は、一般的にはほとんど等閑視されている。選挙で投票することは正しく、公園から不審人物や灰皿を撤去することも正しい──こうしたことに疑義を投げかけるひとは、なかなか見かけない。

 いや、たしかに正しいのだろう。選挙で一票を投じ、国政にメッセージを伝えることは正しい。公園から不審人物を排除して子どもたちを守ることや、タバコを吸える場をなくしてひとりでも多くのひとがタバコを吸わなくなることは、きっと良いことである。

 しかし、それによってなにが失われるか?

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筆者

松谷創一郎

松谷創一郎(まつたに・そういちろう) ライター、リサーチャー

ライター、リサーチャー。1974年生まれ。商業誌から社会学論文、企業PR誌まで幅広く執筆し、国内外各種企業のマーケティングリサーチも手がける。得意分野は、映画やマンガ、ファッションなどカルチャー全般、流行や社会現象分析、社会調査、映画やマンガ、テレビなどコンテンツビジネス業界について。著書に『SMAPはなぜ解散したのか』(SB新書)、『ギャルと不思議ちゃん論――女の子たちの三十年戦争』(原書房)。共著 に『どこか〈問題化〉される若者たち』(羽淵一代編、恒星社厚生閣)、『文化社会学の視座――のめりこむメディア文化とそこにある日常の文化』(南田勝也、辻泉編、ミネルヴァ書房)等。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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