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ウェス・アンダーソンの新作、『ムーンライズ・キングダム』は素晴らしい!(下)――計算し尽くされたカメラ・ワークと画面構成

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 「引き算」演出とともに、『ムーンライズ・キングダム』のポップな魅力を決定づけているのは、アンダーソン独特の計算し尽くされたカメラ・ワークと画面構成だ。

 まず、人物であれ建物であれ小物であれ、被写体をほとんどつねに正面から撮るカメラ・ワークが、「変な感じ」を増幅する。

 たとえばカメラが、一人ないしは複数の人物をカメラ目線の正面ショットでうつす画面や、手紙や絵や写真や本の頁、あるいはワッペンやテントや波止場を、やはり真正面から撮る画面などである(アップ/<寄り>も、ロング/<引き>も臨機応変に組み合わされる)。

 また、人物の横顔を文字どおり真横からうつすショット。あるいは人物が歩く場面でも、カメラはしばしば、彼、彼女らがカメラに対して平行に歩くところを、レールを敷いての真横からの長い移動撮影で撮る。

 さらに、カメラだけが空間を横移動しつづけ、正面を向いたまま動かない何人もの人物をなめてゆく長回しのショットも多い(いかにも“セット臭く”人工的に作りこまれ彩色されたセットを、もしくは草原や海岸や川べりや山間(やまあい)といったフォトジェニックなロケ地を、横移動のカメラがなめらかに滑走/トラヴェリングしてゆくさまは、見ていて実に快い)。

 そしてさらに、縦方向の、すなわち画面奥への、もしくは画面手前への前進&後退移動やズームの使用や、手持ちカメラによるかすかにブレる映像も一度ならず挿入される。しかも、向きあう人物を斜め45度の対角線上にとらえる、普通の切り返しショットや、被写体を真上から撮る俯瞰ショットも、まれに用いられる。

 したがってアンダーソンのカメラは、静的な「スタイル」として固まらずに、そのつど柔軟にフィルムの表情を変化させてゆくのだ。まさしく、“七色の変化球”と呼べるようなポップなカメラ・ワークである。そして一見ランダムになされるかに思われる、そうした多様なカメラ・ワークは、前述のように実は周到な計算によるものだ。

 ところで或る批評家は、本作のアンダーソンのカメラ、ないしは作画を、「箱庭的」と形容している。しかし、私にはそうは思えない。いま述べたように、アンダーソンのカメラは、外界をカメラによって「箱庭」化する(つまり枠づけ囲い込む)かにみえて、その実カメラ自体と人物はダイナミックに動き、たえず枠/フレームをとっぱらってゆく<運動>を見せるからだ。なるほど、本作ではしばしば、一つのショットが構図的にみごとに「決まる」。だがそれらは、時間的継起の中でつねに動的に<変化>してゆくのであって、あくまで他のショットとの関係において存在するのだ(文字どおり動く絵/ムービング・ピクチュア=映画として)。

 つまるところ、トリッキーな撮影技法がもたらす生き生きとした活発さと、「引き算」演出による役者のクールな演技とが、いわば絶妙なバランスで釣りあって物語を紡いでゆくところに、本作の最大の魅力があるといえよう。

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 というわけで、『ムーンライズ・キングダム』には名場面、名ショットが目白押しなのだが、その中でもとりわけ印象深い、いくつかのディテールを箇条書きにしてみよう。 ・・・ログインして読む
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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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