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大森立嗣の『ぼっちゃん』は凄すぎる! 秋葉原事件をモチーフにした怪物的な傑作(上)――ブサイクという過剰な自意識、ロケーションの魅力

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 大森立嗣(おおもり・たつし)監督の『ぼっちゃん』を見て、強いショックを受けた。2008年の“秋葉原無差別殺傷事件”をモチーフにした劇映画である。

 が、この映画がもたらすインパクトは、実際に起こった事件の衝撃とは別次元のものだ。そもそも『ぼっちゃん』の主人公・梶(水澤紳吾)は、実際の事件の被告・加藤智大にヒントを得て「創作された」人物である。

 しかも、梶が犯行に及ぶ直前までを描く本作は、事件以前の加藤智大の人生を再現的になぞるドラマではない。加藤智大の人物像をモチーフ/創作の動機としつつも、大森が自由奔放にイマジネーションを飛翔させ、また入念に脚本を練り上げて生み出したのが、『ぼっちゃん』という怪物的な傑作だ(脚本:大森立嗣+土屋豪護)。

 とはいえ『ぼっちゃん』は、いま言ったように、加藤智大の起こした事件に着想を得ている。つまり、加藤がネット上の掲示板に大量に書き込んでいた自虐的な言葉や、彼に関するさまざまな資料にインスパイアされた映画だ。その点は重要である。

 事実、私もこの映画を見るのと並行して、事件を起こすに至った加藤の人生を根気よく追い、事件の背景を綿密に考察した中島岳志氏の好著、『秋葉原事件――加藤智大の軌跡』(朝日新聞出版)を読んで、多くのことを学んだ(中島氏によれば、加藤のネット上の掲示板における「本音」は、ウケ狙いの「ネタ」として自嘲的にデフォルメされたものだったという。その点で加藤の「本音」は、映画の主人公・梶が「ベタ」に表出する思いとは異なる)。

 が、ともかく『ぼっちゃん』には、私たちにとっても決して他人事ではない、現在進行形の様々な社会的リアルが、<劇化>されて映り込んでいる。たとえば、派遣社員の置かれた過酷な環境(いつクビを切られるかわからない不安定就労など)、他人からの承認を得られない者、あるいは自分の容姿に自信を持てない者が陥る孤独、劣等感、ないしはアイデンティティの喪失、などなど――。したがって本作は、現代社会をめぐる様々な問いをはらんだ映画でもある。

 しかしながら映画批評にあっては、何よりもまず、映画それ自体の構成や細部の表現に、つまり<劇化=創作>された部分に目を向けねばならない(それは作品の着想源を無視する、ということではない)。

 なので本稿の主眼は、『ぼっちゃん』の物語構成や人物設定、および特に注目すべき、いくつかの場面についてコメントすることである。そして後段では、それへの「脚注」のような形で、前掲の中島氏の著作にも言及する(以下、部分的なネタバレあり)。

<物語:28歳の主人公、梶/水澤紳吾は、自分の容姿に劣等感を抱いている、口下手で人づきあいの苦手な小心者。職場を転々としながら、携帯の掲示板サイトに、自分のコンプレックスや、自殺願望のほのめかし、といった鬱屈した思いを大量に書き込んでいる。そんな梶は長野県佐久市の工場に派遣されるが、彼はそこで、やはり世の中をうまく渡ってゆけない、小心で孤独な田中(宇野祥平)と親しくなり、多くの時間を一緒に過ごすようになる。

 その一方で、二人は傲慢でイケメンの黒岩(淵上泰史)の暴力によって支配される。黒岩はセックスしながら相手の女を殴り殺してしまうようなサイコパス(変質者)だった。そして梶と田中は、黒岩の病的な性癖から逃れてきたユリ(田村愛)をかくまうことになるが、二人は彼女に一目惚れしてしまう、というダーク・コメディふうの展開のなか、ついに梶のなかで殺意が頭をもたげる。梶の殺意はまず黒岩をナイフで刺す、という形をとるが、やがてそれは大規模な殺戮への衝動となって、彼を秋葉原に向かわせる……>

 映画は、梶が秋葉原の歩行者天国をぶらついたあと、派遣先の佐久市の工場に向かうところから始まる。

――人通りの多い午後の秋葉原の街路。そこに漂う日常感を巧みに生け捕りにするカメラ。ついで、自殺衝動にかられて(?)、JR秋葉原駅のホームを一歩前に歩み出した梶の鼻先をかすめるように、轟音をたてて通過してゆく電車のショット。……<その場所ならではの空気感や佇(たたず)まい>を鮮明に撮りおさえる大森立嗣の描写力、記録力が、開巻早々冴えまくり、見る者を有無をいわせず作中に引きこんでゆく(鼓膜を急襲するように断続的に響く、軋(きし)るような金属音めいたジャズ・ビートも異様に効果的だ:音楽担当は大友良英)。

 もっとも、こうした絶妙なロケーションは、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(2010)、『まほろ駅前多田便利軒』(2011)にも顕著なように、もとより大森立嗣の十八番(おはこ)だ。そして、この開巻のシークエンス以後、全編をつうじて主舞台となる佐久市の工場や街路や自然が、時に底冷たく時に美しく、臨場感たっぷりに撮られてゆく。

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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