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大森立嗣の『ぼっちゃん』は凄すぎる! 秋葉原事件をモチーフにした怪物的な傑作(中)――他者による<承認欲求>をめぐる葛藤

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 (上)で述べたように、『ぼっちゃん』の主人公・梶は、佐久市の工場で期間工の田中(宇野祥平)と親しくなる。田中は梶と同じく、人づきあいの下手な小心者で、しかも突然眠りに落ちるナルコレプシー(睡眠障害の一種)という持病を抱えていた。

 が、田中は、梶のようには気持がささくれだっておらず、劣等感に凝り固まってもいない、鷹揚(おうよう)で心優しい男だ(と書いてしまえば簡単だが、フリッツ・ラングの名作『M』<1931>などで怪演を見せた、両目の離れたピーター・ローレをちらりと思わせる容貌の宇野祥平の、そろそろとした立ち居振る舞いや、口をすぼめるようにして、しばしば梶をなだめ、諭すように静かに言葉を発する口調、あるいは表情をかすかに変化させてニーッとほほ笑む演技は、もう最高! また、そんな田中/宇野だからこそ、彼が感情を高ぶらせる場面には妙な迫力がある)。

 そして田中は、梶にとって人生初の、本音を言い合える友人となる(その場面で大きな白字として映像化される「トモダチ」という梶のサイトへの書き込みが、何ともおかしく、切ない)。

 これもすでに述べたが、『ぼっちゃん』にはもう一人、黒岩(淵上泰史)という、凶暴なサイコパス(変質者)の派遣社員が登場する。キレキレの態度と小声を使い分け、梶と田中を暴力で支配し、出会い系サイトで知り合った女とセックスするときも、相手を殴り殺してしまうような、精神を深く病んだ男だが、彼も、梶、田中とならんで本作のキーパーソンだ。

 すなわち、黒岩は梶や田中とは正反対の、背の高いイケメンの元スピードスケートの選手であるにもかかわらず、異常な性癖を持つ派遣社員であり、やはり「友達」がいない。しかも黒岩には、羨望の的だったスピードスケートのスター選手、岡田コウジを殺害したという過去があるが、彼はまた、岡田コウジに<なりすまし>、彼の名を名乗っているイケメン殺人者なのだ。

 前掲書『秋葉原事件』(中島岳志著)によれば、加藤智大はネット上の「なりすまし」にサイトを荒らされ、自分と他人の区別がつかなくなるという、いわば<アイデンティティの崩壊>状態に見舞われ苦しんだというが、「なりすまし」のモチーフが、映画ではネット上の書き手としてではなく、黒岩という殺人者のうちに体現されていることも興味深い(後述するように、黒岩はある意味、梶の<分身>かもしれない)。

 そして、黒岩の歪んだキャラクターにおいて、<イケメン―モテ―正社員―基地内―まっとうな人間>という、梶をとらえている図式が破綻している点も重要だ(すでに述べたように、黒岩は非正社員で友達もいない“基地外”だ)。

 あまつさえ黒岩は、岡田コウジの美人の妹、ユリ(田村愛)にもその病的な性癖の矛先(ほこさき)を向けようとして、彼女に忌み嫌われるという「基地外/キチガイ」ぶりを全開する。そして、ユリが田中と相思相愛の仲になるという展開のなか、黒岩の魔の手から逃れようとする二人の逃避行に、梶が奇っ怪な形でからみ、恋、友情、裏切り、変態という主題がダイナミックに重層され、ねじくれた笑いとサスペンスを放ちながら映画を大詰めへと転がしてゆく――。

 ところで繰り返せば、梶の自虐的な自意識/自己イメージは、「ブサイク」=「彼女いない」=「友達いない」=「非社員」、であった。裏を返せば、梶は「彼女」や「友達」や「会社」によって、自分がかけがえのない存在であることを、<承認>されたいと渇望しているのだ。私たちの誰もが持っている、他者による承認や評価を得たいという欲求である(社会学的に難しく言えば、他者による承認は<自尊心の供給源>となる)。

 そして梶の承認欲求は、「友達」に関しては田中と親しくなることで、いったんは満たされたわけだ(以下に見るように、その後2人の関係は一度ならず揺らぐことになるが)。

 が、あくまで肝心なのは、『ぼっちゃん』における、梶と田中の「友達」「友情」の描き方=映画的表現である。すなわち、ヘタすれば陳腐で感傷的になりかねない、心を許せる関係になれるかどうか、あるいは「本音」を言い合える関係になれるか否かというところを、大森立嗣はじつにデリケートな手つきで描いているのだ。

 たとえば梶が田中と出会い、ためらいがちにポツポツと言葉を発し、彼と親しくなれそうな感触をつかんだ直後、例の大きな白字の字幕、「裏切ったら殺してもいいですよね」、が画面を覆うように浮かびあがる。つまりそこで、田中を友達と見なすことへの梶の不安が、心理的な演技とは無縁の手法/スーパー・インポーズで示されるのだ(そこで梶の顔に浮かぶ、こわばったような微笑が切ない)。

 そして、田中の側からも、梶と<友達=本音を言い合える関係>になれるかどうかというサスペンスが、これまたじつに細心、かつユーモラスに描かれる。

 それはこんな場面だ――工場の食堂ではカレーが一番旨い、という点で田中と意見が一致した梶が、直後、 ・・・ログインして読む
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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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