2013年04月11日
今回取り上げるのは、その舩橋監督の新作劇映画、『桜並木の満開の下に』。サスペンス風味のラブ・ストーリーである。震災後の茨城県日立市が舞台だが、震災は直接的なテーマではなく、あくまで「恋愛」をめぐるヒロインの葛藤に焦点が絞られる――。
実をいうと私は、舩橋監督の新作が劇映画であり、しかも恋愛ものだと仄聞(そくぶん)した時は、やや意外だった。『フタバ~』の印象が圧倒的だったせいもあって、果たしてどんな映画なのだろうと、期待と同時に不安も覚えた。……もとより『ビッグ・リバー』(2006)や『谷中暮色』(2009)などの劇映画の逸品を撮った舩橋だとはいえ、初ドキュメンタリー『フタバ~』を撮った近過去から、ひいては今も避難生活を強いられている双葉町民の現実から、いったん頭を切り替えて(?)恋愛映画を撮ることは可能なのか――といったあれこれが頭をかすめたのだ。
が、試写で見た『桜並木の満開の下に』は、そんな私の思いを払拭するような、清々(すがすが)しくも哀切な映画だった。
<物語:小さなプレス工場で働くヒロインの栞(しおり、臼田あさ美)は、結婚して間もなく、同僚である夫の研次(高橋洋)を作業中の事故で失う。事故を起こした若い工員・工(たくみ:三浦貴大)は、栞に謝罪しようとするが、彼女はそれを拒みつづける。自分の夫を殺した男の謝罪を、栞はとうてい受け入れられなかった。
――だが、研次の死によって経営難に陥った工場を立て直すべく必死に働く工の姿を見て、栞の心は変化し始める。やがて一年が過ぎ、工の功績もあって工場は再び軌道に乗り始める。が、そんな折、工は工場をやめることになる。工からその理由を聞いた栞は動揺する……>
このように、『桜並木~』は男女の愛憎をめぐる映画だ。つまり、愛憎=<葛藤>を動力にする点で、この映画のストーリーは「メロドラマ」だと言える(ここでは「メロドラマ」を、観客の感情に訴える劇的な物語、とシンプルに定義しておこう)。
さて、映画の「古典期=全盛期(おおよそ1930年~60年)」から50年以上が経過し、映画の文法や環境や俳優のタイプがかつてとは大きく変化した現在、こうした題材を映画化するうえで一番難しいものの一つは、<情>の描き方だろう。
ざっくり言って、恋愛や家族愛にまつわる哀歓をフォーカスする現代映画の多くは、役者のベタすぎる演技、説明過剰なセリフ、あるいは大仰なBGMゆえ、登場人物の喜怒哀楽、驚き、不安……といった<情>の描写に失敗している。
要するにそれらの映画では、「わざとらしさ」が前面に出て、作中で描かれる<情>が、観客の<情>に訴えてこないのだ。つまり感情表現の過剰さゆえに、観客はかえって映画のなかに入り込めないのである。
だが、『桜並木~』では、これとはまったく正反対のことが起こっている。――すなわち、
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