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カンヌ映画祭はなぜ強いのか?(下)――理想のための現実路線、すべては作家映画のために

林瑞絵 フリーライター、映画ジャーナリスト

 世界一の映画祭と言われるカンヌ映画祭。その強さの理由について、まずは「カンヌ映画祭はなぜ強いのか?(上)――華やかさの演出とフィルム・マーケットの成功」で、映画祭の外的要因から語ってみた。本稿では、映画祭の真の主役である映画作品に話を近づけていきたい。

■野心は「作家映画を大衆に」

 カンヌ映画祭の公式ホームページによると、映画祭開催の目的は、「映画の発展に貢献するために作品を紹介し、援助すること、世界中の映画産業発展の援助をすること、第7芸術を国際的に称揚すること」とある。

 これは決してキレイごとではない。フランスは古くから芸術大国を自認し、それを誇りに思ってきた国。だから世界の優れた映画作家の作品を紹介し、後押しすることは、「芸術の番人国家」としての名声を高めることに寄与するはずで、フランスにとっては立派な国益になっているとさえ言えそうだ。

 実際、これまでにフェデリコ・フェリーニ、ルイス・ブニュエル、サタジット・レイ、フランシス・フォード・コッポラ、ケン・ローチ、クエンティン・タランティーノ、ダルデンヌ兄弟、ナンニ・モレッティ、ペドロ・アルモドバル、ウォン・カーウァイ、ラース・フォン・トリアー(2011年、問題発言で追放劇があったが)といった監督たちの才能を発掘、後押しし、世界中にアピールしてきた実績がある。

 カンヌ映画祭の会長ジル・ジャコブによると、カンヌ映画祭の最大の野心は「作家映画を大衆に」というスローガンに集約できるという。ただし、漫然と世間に対して「お芸術」を説いているだけでは、雑音が多過ぎるこのご時世、シネフィル以外の一般大衆を振り向かせることは難しいだろう。

 だからこそ積極的に華やかさを演出したり、国際的なスターやハリウッドの話題作の力を借りることで、祭りごとを盛り上げる努力を惜しまない。映画祭の盛り上がりが、結局は巡り巡って作家映画の奨励につながっていると考えているのだ。

 このような考え方と振る舞いは、大いなる理想や建前を掲げながらも、かなり現実的な戦略を好む、外交上手なフランスの政治家の姿と重なって見えなくもない。だがカンヌの場合、理想や建前の実現を、より本気で信じているフシがある。たとえ戦略的には現実路線をとっても、それはあくまで、「すべては作家映画のために」なのだ(ただし「作家映画」とは、作品の予算や国籍にはとらわれない。作家の個性が感じられれば、ハリウッド大作でも「作家映画」になりえる)

 例えば、2010年にパルムドールを受賞したのは、アピチャッポン・ウィーラセタクンの『ブンミおじさんの森』という作品だった。これは輪廻転生をモチーフにした、幻想的で摩訶不思議なタイ映画。西洋的な価値観とは一線を画している。客観的にみても、一般の観客を集めるのが非常に難しいタイプの映画である。しかしフランス国内では12万人の観客を集めた。他のパルムドール受賞作とくらべると少なめではあるが、映画の専門家たちは「カンヌのおかげで観客数が10倍に増えた」と指摘している。

 思えばカンヌ映画祭は、当初から現実路線だったとも言える。映画祭のスタートは戦後間もない1946年で、まだ戦争の残像が生々しい時代。コンペティション部門を設け、「この作品が一等賞」などと順位をつけるのは、参加国同士に余計な対立感情を煽りかねない。だから最初は情勢を鑑みて、参加した映画すべてに賞を授与するという、言わば「みんなが一番方式」をとった。

 このように初期は、平和への希求から政治色を排除し、芸術を介して他国との交流を取り戻すための「芸術外交」に力を尽くした。その意味でカンヌは、ファシズムの息がかかったベネチア映画祭のアンチとして誕生したと言える。

 だが時代が変わると戦略も変わる。

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筆者

林瑞絵

林瑞絵(はやし・みずえ) フリーライター、映画ジャーナリスト

フリーライター、映画ジャーナリスト。1972年、札幌市生まれ。大学卒業後、映画宣伝業を経て渡仏。現在はパリに在住し、映画、子育て、旅行、フランスの文化・社会一般について執筆する。著書に『フランス映画どこへ行く――ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』(花伝社/「キネマ旬報映画本大賞2011」で第7位)、『パリの子育て・親育て』(花伝社)がある。

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