2013年07月02日
7月7日までの開催だが、東京芸術大学大学美術館の「夏目漱石の美術世界」展について、どうしても書いておきたい。なぜなら間違いなく今年一番の展覧会だからである。まだ今年は半分しか終わっていないのになぜ断言できるかといえば、これまでになかった画期的な展覧会だから。
漱石のような文学者の展覧会は、これまでにいくつもあった。人気があるのは宮沢賢治展とか太宰治展とか、変わったところでは金子みすゞ展とか。いずれにしても、本人が持っていたペンや机、衣服、手紙、日記、自筆原稿、初版本そして写真などが主な展示物になる。それでは見応えがないから、文章を大きくパネルで見せたり、写真を引き伸ばしたり。いずれにしても、美術館ではなく百貨店か地方の文学館の小さな展示会場を埋めるのが精いっぱいだ。
この展覧会には、そうしたものがほとんど展示されていない。広々とした芸大美術館の2フロアーさえ狭く感じるほど埋め尽くすのは、ほとんどがいわゆる美術作品だ。それは、漱石がロンドン留学中に見た19世紀後半のイギリス絵画に始まって、幼少期から見た日本の古美術、小説の中に出てくる絵画、そして美術評論で論じた作品や、親交のあった画家の作品が並んでいて、その数200点を超す。
展覧会場に入ると、まず『吾輩は猫である』の凝った装丁や挿絵を並べている。これは通常の「文学展」でもやることだが、そのアール・ヌーヴォー風のイメージや洒脱な俳画風の挿絵が印象深い。実はその後の展示を見ると、この意味がわかってくる。
驚くのは次の「漱石文学と西洋美術」。『坊っちゃん』に出てくる赤シャツの言葉がパネルになっている。
「あの松を見たまえ、幹が垂直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」
キャプションを見ると、版画は《チャイルド・ハロルドの巡礼》(1832年)、油彩は《金枝》(1834年)で共に「テイト、ロンドン」と書かれている。
赤シャツの言葉を視覚的に見せるために、わざわざロンドンから2点借りてきているのだ。
大事な点は、『坊っちゃん』では作品名は明示されていないということだ。つまり、この小説がイメージする絵を学芸員が探しだし、展示していることになる。いくつもの時代の想像力が交錯するスリリングな展示だ。
あるいはアーサー王伝説を題材にした漱石の短編『薤露(かいろ)行』のシャロットを巡る一節をパネルに見せながら、リーズ市立美術館所蔵のジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの《シャロットの女》(1894年)や、ビアズリーの『アーサー王の死』の挿絵(1893―1894年、栃木県立美術館蔵)やロセッティの《レディ・リリス》(1867年)を展示する。
漱石の文章に出てくる絵がどれに近いかを想像し、ロンドン留学中に見たであろう絵を並べる。そこから湧き上がるのは、ロンドンで世紀末美術のイメージを十分に吸収した漱石の視覚的世界だ。漱石の文章を読みながらそれらを見ることで、観客は漱石の小説の奥にあったイメージを駆け巡る。
「漱石文学と古美術」では、漱石の文章に出てくる古美術を展示している。秋月等観、狩野元信、狩野常信、狩野探幽などの絵が並ぶ。いずれも漱石の文章に出てくる画家たちだ。あるいは俵屋宗達の《龍図》や《禽獣梅竹図》(17世紀)や伊年の《四季花卉図屏風》(17世紀)のように、日記から漱石が東京国立博物館で見たことがわかる作品もある。
同じ東博所蔵の酒井抱一《宇治蛍狩図》(1817年)については、「抱一の蛍狩という俗な絵があります抱一ほどの人がどうしてこんな馬鹿なものを描いたかと思う位です」という文章がパネルに出ている。よく東博が貸してくれたものだ。
極めつけは『虞美人草』に出てくる
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください