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大森立嗣『さよなら渓谷』の苦戦――「過去」を描く困難さ

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 大森立嗣は、邦画界の第一線を力走する若手監督の一人だ。

 『ゲルマニウムの夜』(2005)、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(2010)、『まほろ駅前多田便利軒』(2011)などの秀作をコンスタントに撮りつづけ、今年も大傑作『ぼっちゃん』を発表して私たちを驚嘆させた(『ぼっちゃん』については、WEBRONZA「大森立嗣の『ぼっちゃん』は凄すぎる! 秋葉原事件をモチーフにした怪物的な傑作」<上中下>参照)。その彼の最新作は、異色の心理劇『さよなら渓谷』である(原作は吉田修一の同名小説)。

 レイプ事件の被害者の女と加害者の男のあいだに生まれた、「極限的な愛」を描く作品だが、ともすれば説明過剰になるこの手のドラマを、大森は「映画」の側にたぐり寄せるべく、苦闘している。役者の説明的な演技やセリフにもたれずに、画面の暗さを強調したり逆光ぎみにしたり、あるいはセリフを少なめにして十分に“間(ま)”をとり、一つひとつの場面をじっくりと描いている。

<物語:俊介(大西信満)と妻のかなこ(真木よう子)は、緑濃い渓谷に近い市営団地で暮らしている。その長閑な町で起こった幼児殺害事件は、その実母・立花里美が容疑者として逮捕され、収束したかに思われた。が、意外にも一つの通報により、里美の共犯者として俊介に嫌疑がかけられる。そしてなんと、その通報者はかなこであった。かなこは、俊介が立花里美と不倫関係にあった、と通報したのだ。そして立花里美も「俊介と密通していた」と証言、いきおい俊介は警察に事件の取り調べを受けることに――。

 いっぽう、事件に張り付いていた週刊誌記者、渡辺(大森南朋)は、こうした事件の展開に疑問を抱く。まず俊介とかなこの、世間の目から隠れるような暮らしぶりが謎だったし、また実際に接した俊介の人柄が、どうも事件の新たな展開と乖離(かいり)しているように思われたのだ。

 やがて、相棒の女性記者・小林(鈴木杏)の助力もあって、俊介の過去を洗い始めた渡辺は、驚くべき事実を知る。――俊介は15年前、大学の野球部在籍時、他の部員らと女子高生を集団レイプした事件で逮捕されており、その事件の被害者の一人・水谷夏美は、事件のせいで婚約破棄、転職、夫(井浦新)からのDV、そして自殺未遂を繰り返した挙句、現在失踪中だと知る。……渡辺の思いは、やはり俊介が幼児殺害の共犯者かもしれない、という方向に振れる。

 さらに渡辺は、レイプ事件の被害者・水谷夏美はじつは「かなこ」だった、という驚愕の事実を知り、動揺する。果たして、俊介とかなこの関係は憎しみか、償いか、それとも愛なのか――>

 このように、『さよなら渓谷』の物語的主題の臍(へそ)は、レイプ事件の加害者と被害者が15年の歳月を経て、夫婦のように暮らしている、という点にある。そして前述のように、大森立嗣は、原作を吉田修一に仰ぎながらも、映画にしか描けない手法で、くだんの男女の愛憎を描写しようと試みている。

 だが結論から言ってしまえば、残念ながら、その試みは十分に成功しているとは言えない。

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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