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危なかったフランスの「文化的例外」(下)――文化の自由貿易は、モンローがいない『帰らざる河』

林瑞絵 フリーライター、映画ジャーナリスト

 関税および貿易に関する一般協定(GATT)のウルグアイ・ラウンドで、フランスが勝利の美酒に酔ってから20年。

 フランスが国をあげて守ってきた「文化的例外」だが、自由貿易協定(FTA)交渉を前に揺さぶりをかけられた。2013年2月にアメリカが、欧州連合(EU)との包括的な自由貿易協定の交渉を開始することを宣言し、5月にキャメロン英首相が、オバマ米大統領と臨んだ会見で、「困難な分野も含め、例外なくすべての品目を交渉のテーブルにのせる」と表明した。

 フランスにとって「文化的例外」は、すでに20年前に確認済みの、侵してはならない「聖域」。現在も「映画やテレビ作品、DVDを含む音響映像サービス分野」を交渉テーブルに載せるのは言語道断である。だから交渉テーブルから除外しなければ、交渉の「拒否権」を行使することも辞さないと啖呵をきった。

 環太平洋経済連携協定(TPP)交渉のテーブルに、保険も農業も含む全ての品目がのせられても、「大丈夫」とのんきにふるまう日本政府とは、対照的かもしれない。

 とはいえ欧州が一丸となってアメリカと交渉しなければならない状況下で、フランスの頑(かたく)なにも見える姿勢には、「柔軟になれ」と非難の声もあった。特に今回、ドイツ、イギリス、オランダなどは、アメリカの自由主義の提灯を率先して担いでいた。

 だがなぜここにきて、フランスの「文化的例外」が槍玉にあがってしまったのか。

 それは単純な話、不況の影響が決定的だろう。

 前の項(「危なかったフランスの「文化的例外」(上)――死守した文化的アイデンティティ」)で伝えた通り、悲しいかな、今やフランス以外の欧州の国産映画は、ハリウッドというブルドーザーが通過した後。映画の文化的アイデンティティなるものは、ほとんど消えかかっている状態にある。

 だからフランス以外の国々は、アメリカ文化が席巻することに恐れる理由はない。もう今さら、痛さ、痒さは感じないというわけだ。「文化的例外」を、ひとり身を粉にして実践してきたフランスにとっては、ひどい話である。

 そのかわり欧州委員会は、音響映像サービス分野を、遺伝子組み換え生物や軍需産業と同じく、有益な交渉カードのひとつとして有益に使えた方が良いと考えた。実際、オバマ大統領は、「アメリカが競争力を持つ分野の自由化ができなければ、成長は難しい」と発言している。音響映像サービス分野はアメリカのドル箱だから、まさに今回、自由化に手をつけたいところだろう。

 また別の理由としては、欧州委員会のバローゾ委員長が、自身の来年の任期切れを前に、アメリカに良い格好をして辞めたかったからとも噂されている。立つ鳥あとを“濁す”作戦だろうか。

 「文化的例外」の存在が、はっきりと脅かされるようになったのは3月13日のこと。EU通商担当委員でベルギー人のカレル・デフフトが牽引役となった欧州委員会が、アメリカとの交渉に際し、音響映像サービス分野を入れることに青信号を出したからだ。28人の欧州委員会メンバーのうち、フランスを含む3人のメンバーが反対したというが、多勢に無勢だったろう。

 オランド仏大統領はすぐに欧州委員会に抗議。孤立無援にも見えるフランス。

 だが、フランスには得意技があった。それは連帯作戦である。特に映画人たちの結束は早かった。ダルデンヌ兄弟らを中心に、ただちに署名の準備を開始したのだ。そして映画人らで相談を重ねながら、「文化的例外は、交渉できない!」というタイトルの署名文書を練り上げた後、4月22日から署名を開始したのだった。

 この署名に協力した監督たちの多様さには目をみはる。

 早い時期にサインをした有名監督には、ミヒャエル・ハネケ(オーストリア)、ペドロ・アルモドバル(スペイン)、アキ・カウリスマキ(フィンランド)、ジェーン・カンピオン(ニュージーランド)、マルコ・ベロッキオ(イタリア)、スティーヴン・フリアーズ(イギリス)、ベルトラン・タヴェルニエ(フランス)、ケン・ローチ(イギリス)、デヴィッド・リンチ(アメリカ)、ミシェル・アザナヴィシウス(フランス)、エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカシュ(フランス)などの名前がある。

カンヌ映画祭で開かれたシンポジウムで熱弁をふるうミシェル・アザナヴィシウス監督=撮影・筆者拡大カンヌ映画祭で開かれたシンポジウムで熱弁をふるうミシェル・アザナヴィシウス監督=撮影・筆者
 リストを見れば、フランス人の監督だけではないというのが、一目瞭然だ。

 そもそも署名運動を率いたダルデンヌ兄弟はベルギー人。だが彼らは長年、フランスからの資金援助を受けて映画を製作してきたという意味では、フランス映画の監督と言える。

 彼らのように、フランスの「文化的例外」の恩恵を受けることで作品を作ってこられたり、フランスの映画祭のおかげで名が知られるようになった監督は、世界に数えきれないほど存在する。

 さて、世界の映画人が大集合する5月のカンヌ映画祭は、「文化的例外」の重要性を広く訴える好機になった。5月20日にオレリー・フィリペティ仏文化・通信大臣などの政治家や映画人たちが集結し、「ヨーロッパの明日において、文化的例外を強化する」と題したシンポジウムを開いた。

 EU加入が決まったクロアチアの文化相も早速仲間となり、「文化的例外」の支持を表明。コスタ・ガヴラス監督は、欧州委員会のメンバーで、教育・文化・他言語主義・青少年担当のキプロス人アンドゥルラ・バシリウ委員に、この時点で5000人ほど集まっていた映画人たちの署名を手渡した。

 この時、「文化的例外」を支持し、拍手を浴びた意外な出席者としては、ミラマックスの創設者で、アメリカの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインがいる。だが彼は、ミシェル・アザナヴィシウスの映画『アーティスト』に米オスカーを引き寄せたり、エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカシュ監督の『最強のふたり』をアメリカに売り込んだ影の仕掛人でもあり、昨今フランスと関わりが深いため、彼の行動も理解できる。

 また、ミーティングに顔こそ出さなかったものの、審査委員長という大役でカンヌ入りしていたスティーブン・スピルバーグも、

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筆者

林瑞絵

林瑞絵(はやし・みずえ) フリーライター、映画ジャーナリスト

フリーライター、映画ジャーナリスト。1972年、札幌市生まれ。大学卒業後、映画宣伝業を経て渡仏。現在はパリに在住し、映画、子育て、旅行、フランスの文化・社会一般について執筆する。著書に『フランス映画どこへ行く――ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』(花伝社/「キネマ旬報映画本大賞2011」で第7位)、『パリの子育て・親育て』(花伝社)がある。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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