2013年07月23日
清水宏という映画監督の名前を知っている人は、かなりの映画通かもしれない。小津安二郎と同じく1903年の生まれで、戦前は松竹の専属で、生涯で164本を残した。そう聞くと、「小津の影に隠れた商業監督」というイメージが浮かぶかもしれない。
それは一部は正しいが、おおむね間違っている。確かに彼の作品はとりわけ戦前はよく当たったから、「商業監督」と言うことはできるだろう。というより何より、彼は1920年に本格的に映画に進出した松竹の、戦前における筆頭監督だった。少なくとも戦前の蒲田や大船の撮影所では、3年遅れて監督になった小津より重鎮であった。
現在、東京・京橋の東京国立近代美術館フィルムセンターでは、「生誕110年 映画監督 清水宏」と題して、現存する映画50本を上映する大回顧特集が8月7日まで開かれている。土日は満員に近いほどの入りで、担当した研究員の大澤浄さんによると「2年前の黒澤明特集に匹敵する集客」という。
私もかなり通い詰めているが、黒澤を凌ぐほどの本当の天才監督だという確信を抱きつつある。この特集は、今年のナンバーワン映画祭に間違いない。これほど才能のある監督の全貌が、初めて明らかにされたからだ。まだこの特集に行っていない映画ファンは、一度足を運ばないときっと後悔することになるだろう。
国立の美術館で特集するくらいだからそれなりの監督のはずだが、清水宏のいったいどこがおもしろいのか、なぜそれほど人を集めるのか、そしてなぜこれほど知名度が低いのかなどについて考えてみたい。
清水宏で最も有名な作品は、おそらく『風の中の子供』(1937)だろう。『キネマ旬報』4位で、翌年のベネチア国際映画祭に出品されて、海外の新聞に絶賛の映画評が残っている作品だ。今日この映画を見て驚くのは、何より子供たちの自然で即興的な躍動感だ。
映画は兄弟を中心にこの顛末と父親の帰還を描く。田舎でありながらも会社の買収などが背景にあって、1929年の世界大恐慌後の過酷な資本主義社会が垣間見える。
子供たちの目にも大人の世界の混乱は映る。兄弟の友人が、お前のお父さんは会社を首に
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