2013年07月25日
1952年の11月10日「読売新聞」夕刊の演芸欄に、溝口健二、小津安二郎、清水宏の鼎談が載っている。日本映画の海外進出が主なテーマだが、冒頭には「日本の映画監督の中でも最高峰と言われる」として、この3人の名前が挙げられている。つまり当時は、清水宏は溝口、小津と並ぶ三大巨匠として広く認められていた。
それがなぜ今日では清水だけが知られざる存在になってしまったかについては、いろいろな理由が考えられるが、何よりも多作だったことが一番の原因ではないだろうか。
清水の164本は小津の54本、溝口の90本に比べても明らかに多い。彼の映画を見続けるとわかるが、『按摩と女』(38)のように繊細極まりない秀作もあれば、『泣き濡れた春の女よ』(33)や『金色夜叉』(37)のように、どこか手を抜いたような作品もある。
あるいは『有りがたうさん』(36)や『花形選手』(37)のように何を考えて作ったのかよくわからないが、不思議におもしろいエッセー風の小品もある。何でも撮るという濫作のイメージは、今日的な「巨匠」からは遠い。そのうえ、戦後は溝口や小津の充実度からはほど遠かった。
清水に関する唯一の単行本である『映画読本 清水宏――即興するポエジー 蘇る「超映画伝説」』の冒頭で、田中真澄は清水映画の特徴を「旅」「流転」「学生」「傘の女」「子供」「モダニズム」のキーワードに分けて、場面写真で見せている。それらを貫くものを一言で言うと、「自由」ではないかと私は思う。
子供たちを好んだのは、彼らが自由だからだ。清水は普通の大人の社会から外れた人々、マイナーな人々を好んで描いた。1930年代の彼の映画には、カフェの女給に身を落とした女という存在が数多く出てくる。あるいは出世からはずれた男や放浪者も多い。
トーキー第一作の『泣き濡れた春の女よ』(33)は、北海道の炭坑町を舞台にした炭鉱夫とカフェの女給たちの話だ。『港の日本娘』(33)は、横浜を舞台にしてハーフの男女(演じるのも井上雪子と江川宇礼雄という、外国の血を引く俳優)が出てくる異国情緒たっぷりの映画だが、この2人が、高校時代に恋に破れて身を崩してカフェの女給になっている友人の女と再会するという展開だ。
『金環蝕』(34)は若い頃から愛し合う2人が、男は友人に恋人を譲って東京で運転手となり、女は女給をしていたが、東京で再会を果たすというもの。『東京の英雄』(35)は、詐欺師の夫に捨てられた妻がクラブを経営して子供たちを育てるが、母の職業が理由で娘は離縁され、次男は与太者になるという話。
こう書いているとキリがないほど、清水の映画には女給や与太者、放浪者ばかりが出てくる。彼らは港町や旅を好む。そして彼らにカメラは優しい眼差しを注ぐ。その時、画面はここぞとばかり正面から主人公を捉え、アップで見せたり、ディゾルブでどんどん小さく見せたりする。
有名なのは『按摩と女』の高峰三枝子が傘を差す姿が、
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