2013年07月27日
宮崎駿監督の5年ぶりの新作『風立ちぬ』を満員の劇場で見た。既に劇場で4分間もある予告編を2度も見ていたので、期待は高まっていた。内容は予告編通りで、関東大震災から第二次世界大戦までを舞台に、ゼロ戦の設計技師・堀越二郎の人生に堀辰雄の小説を合わせたものだが、いろいろな意味でこれまでの宮崎駿にない展開だった。
まず率直な感想を言うと、高揚感と物足りなさの入り混じった不思議な気分だ。これまでSFやファンタジーで主として子供の世界を描いてきた宮崎が、一転してリアリズムで大人の世界を描いている。それも戦時中の話だ。
二郎は東京に向かう列車で関東大震災に出会う。大地が震動し、無数の木造の家が焼けて倒れる。どこからかうなりのような音が聞こえる中を、人々は逃げ惑う。
大地の怒りのようなアニミズム的表現は、いかにも宮崎らしいし、当然ながら3・11も考えさせられる。
そこから二郎の物語は、飛行機の設計技師として三菱に勤めてゼロ戦を設計する仕事人生と、震災の時に出会った菜穂子との純愛物語に引き裂かれる。夢でイタリアのカプローニ(飛行機製作者)に会って飛行機に憧れ、ドイツでユンカース社の飛行機を見て「美しい」と感動する。
それは、飛行機の内部まで細かく描き込んだ映像で見せてくれるからこそ伝わってくる。そして自分が考えるゼロ戦の仕組みを、仲間たちに説明し、議論する時の楽しそうな顔。
軽井沢の高原で絵を描いている菜穂子と再会するシーンの鮮烈さ。ホテルで紙飛行機を飛ばしあう瞬間の快さ。そして何より名古屋の上司の家で二人が突然結婚するシーンには泣いてしまった。二人の優しい言葉のやりとりと、一瞬だけ写る菜穂子の色気にやられた。
とりわけ雲や雨や雪、あるいは夕日や蒸気機関車の煙の表現は、繊細を超えて、まるで横山大観や川合玉堂の日本画を見ているような、ある種の象徴の域に達している。そこに久石譲のつややかな音楽が加わって、風景を見ているだけでも高揚してくる。
あるいは震災復興後の日本の豊かさを、通りも家の中もきちんと見せていたのも気持ちよかった。
二郎が妹を連れて船で案内するシーンに、かつては東京が水の都だったことを思い知らされた。彼らの丁寧な日本語は限りなく美しく、とりわけ二郎の声を演じた庵野秀明の朴訥な調子がいい。
それでも見終わって、なぜか物足りない。実際に劇場で見ていた時に、隣の観客から「これで終わり?」という声が聞こえたが、それは私にもわかる気がする。
その一番の理由は、二郎が
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