室 謙二
2013年08月30日
私はフリーランスの仏教徒である。もっとも私も最初はそんな言葉があることを知らなかった。カレン・アームストロング(比較宗教学)のラジオインタビューを聞いていたら、「私はユダヤ教でもイスラムでも、プロテスタントでもカトリックでもないの。一神教のフリーランスね」と言ったので、笑い出してしまった。
それで私はその言葉をもらった。そうやって私は、アームストロング先生とは違って、「たくさんのカミサマ主義」のフリーランス仏教徒となったのである。もっとも私以外にこの言葉を使っている人は知らない。だけど英語でそれを言うと(私は北カリフォルニアに住んでいるが)、あらそういう言葉があるなら私もそうだわ、と言う人がいるから、きっとあちこちにいるのだろう。
フリーランスだから、宗派には関係はない。檀家とかお寺のめんどくさいシステムはアメリカにはないしね。ひとつの経典に縛られることもない。いろんな仏教ワークショップに参加しても、一人の仏教の教師に忠誠を誓うこともない。
つまりいろんなものを取り入れるし、それに座禅も自分の家でやっているのだから、その方法にいちいち文句を言われる筋合いはない。
道元センセイの座禅をやっているつもりだけど、ヴィパソナのあるグループみたいに自由な座り方もする。読経だって英語のも、日本語化した中国語のも(般若心経とか観音経とか)フリースタイルだからね。何しろ従う人がいないのだから。私はそうやって28年間アメリカで仏教をやってきた。
なぜ仏教をアメリカで始めたかというと、
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