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 9月1日に「瀬戸内国際芸術祭2013」の夏会期が終了した。2010年に始まったこの現代アートのフェスティバルは、3年おきに(トリエンナーレと呼ぶ)開催され、今年は瀬戸内海の12の島と高松、宇野の151の会場で春、夏、秋と3つの会期がある。

 事務局によればこれまでの入場者は、春が26万3014人、夏が43万5370人とのことで、10月5日から11月4日まで開催される秋会期を入れると100万人を超すかもしれない。

 人数の数え方を聞いてみると、各島に基準施設を決めてそこを訪れた人を合計する方式なので実際はもっと少ないはずだが、それにしても多い。私は今回3つの島を訪れたが、仮に実際の入場者数を3分の1にするとしても、通常の美術展で1館30万人を超すのは日本全体でも年にいくつかしかない。

 なぜこんなに人が集まるのか、その特徴は何なのか、隠された問題点などについて、これまで新聞や美術雑誌などで書かれなかった真相を抉り出してみたいと思う。

 まずマクロな文化現象として分析し、次にアート・フェスティバルとしての評価を考え、最後にベネッセの文化ビジネスとしての経済的側面について触れたい。そこに横たわるガラパゴス的とも言える日本特有の文化現象が解明できればと思う。

 筆者は夏会期の終わり間際に足を運んだが、実際に行ってみるととにかく若い人が多い。会場は各島に散らばっており、島の中でも各地に分散している。期間中はフェリーや旅客船が増便しているが、それでも3時間に1本しか便がない島もあり、不便極まりない。151の会場をすべて踏破するには、仮に車を使ったとしても1週間はかかるのではないだろうか。

 若者たちはまるでその不便を楽しむように、首から全会場用のパスポートをぶら下げて一つ一つの場所を黙々と訪ね歩く。島内はバスを使って歩く者や自転車のレンタルが多く、グループでの参加がほとんどだ。車でまわる者はまず見ない。

 私はその姿を見て「お遍路さん」を思い出した。「四国八十八か所巡り」で場所も近い。各会場でスタンプを押すというのも、札所で納経帳に朱印をもらうのに近い。「お遍路さん」でなくても、七福神巡りは昔から日本各地にあるし、最近は地下鉄などのスタンプラリーも多い。極めて日本人の心性に合ったイベントなのだ。

 美術出版社が出している公式ガイドブックには、直島のことが「現代アートの聖地」と書かれていたが、まさに若者たちが現代アートの信者となって各地を巡っている。

 その教祖として旗を振っているのは、全共闘世代で画廊主の北川フラム氏。2000年に「大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ」を立ち上げて、新潟の山の中に若者たちを集めたカリスマ的存在だ。「越後妻有」はまだ車で3日間移動すれば全部を見ることができたが、「瀬戸内」は島々を移動するために困難度は高い。だからこそより多くの若者が集まる。

 国際的な現代アートのフェスティバルは、ベネチア・ビエンナーレ、サンパウロ・ビエンナーレの2大ビエンナーレに加えて、4年ごとのカッセル・ドクメンタなど世界各地に存在する。日本でも2001年に始まった横浜トリエンナーレなどが続々と生まれている。しかし、それらは朝から夕方まで2日間歩けば、まず全作品を見ることが可能である。大半が展示会場内なので、「瀬戸内」のように場所自体を探すのに苦労することはありえない。

 もっと大きな本質的な違いは、「越後妻有」や「瀬戸内」には責任を持って出品作家や作品を選ぶディレクターや芸術監督に当たる人間が不在ということだ。

 北川フラム氏は「総合ディレクター」の肩書を持つが、例えば「東京芸術大学プロジェクト」のような出品もあり、すべてを選んでいるというよりは、いろいろな人に声をかけて自由参加で集まってきているような感じだ。出品作家には現代アートの世界の著名人もいれば、これまでの実績がほとんどない作家もいる。実際に会場を細かくまわっていると、「誰が選んだのだ?」と言いたくなるようなことも多い。

犬島:S邸の荒神明香作品=撮影・筆者拡大犬島:S邸の荒神明香作品=撮影・筆者
 例外は犬島で、長谷川祐子氏がキューレーターを務めた「家プロジェクト」。建築家の妹島和世氏が再生した5つの民家に、5人の作品が並ぶ。長谷川氏好みの作家が並んでいるが、F邸の名和晃平やS邸の荒神明香の展示(=写真)は成功していたと思う。

 しかしこれは全体のごく一部にすぎない。

 ベネチア・ビエンナーレには毎回ディレクターがいてイタリア館やアルセナーレ会場のテーマ展示を中心に仕切り、国別パビリオンは各国が選ぶコミッショナーが総合テーマに従って、作家と作品を選び、展示に責任を持つ。

 これがはっきりしていないと、現代アートのフェスティバルとしての国際的評価は得にくいだろう。

 考えてみたら、「瀬戸内」の会場には外国人がほとんどいなかった。

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筆者

古賀太

古賀太(こが・ふとし) 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

1961年生まれ。国際交流基金勤務後、朝日新聞社の文化事業部企画委員や文化部記者を経て、2009年より日本大学芸術学部映画学科教授。専門は映画史と映画ビジネス。訳書に『魔術師メリエス――映画の世紀を開いたわが祖父の生涯』(マドレーヌ・マルテット=メリエス著、フィルムアート社)、共著に『日本映画史叢書15 日本映画の誕生』(岩本憲児編、森話社)など。個人ブログ「そして、人生も映画も続く」をほぼ毎日更新中。http://images2.cocolog-nifty.com/

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