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 今回初めてトロント国際映画祭に参加して、そのユニークな成功ぶりに衝撃を受けた。今年で28年目を迎える東京国際映画祭は相変わらずの低迷を続けているが、トロントにはそこから抜け出すたくさんのヒントが詰まっているように思える。

 「コンペなんて意味がない」。トロント国際映画祭のクロージングのブランチで、偶然隣り合わせたこの映画祭の創始者の1人、ビル・マーシャル氏は私に語った。

 カンヌなどの通常の国際映画祭は、賞を出すコンペと映画売買の場であるマーケットが2本の柱だが、1976年にマーシャル氏ら3人が映画祭を作った時は、その2つを敢えて避けた。なぜかと聞くと、冒頭の答えが来た。

 1990年代までは、この映画祭の正式名称は「映画祭の映画祭」(Festival of Festivals)だった。つまりカンヌを始めとする各国の映画祭で出品された映画からいいものを選んで、カナダの観客に見せることを目的に始めた映画祭だった。コンペをやると国際映画製作者連盟の規定で、他のコンペに出た作品を出すことができなくなる。それもあってコンペのために世界初上映を探すことを止めて、自分の目でいいものだけを選んだ。

 それが今では巨大な映画祭に成長した。今年上映された長編は288本で、そのうち世界初上映(ワールドプレミア)が146、自国外初上映が19本、北米初上映が103本。それらが34のスクリーンで11日間上映される。観客数は今年43万5000人で、映画祭としてはもちろん世界一。

 今回もスカーレット・ヨハンソン、キーラ・ナイトレイ、ベネディクト・カンバーバッチ、ラルフ・ファインズなど多くのスターがやってきた。最近は『スラムドッグ$ミリオネア』や『英国王のスピーチ』など、ここで観客賞を取った作品がアカデミー賞を取ることが増えて、「アカデミー賞の前哨戦」と言われるようになってきたため、ハリウッドもこの映画祭を重要視している。

 プロデューサーや配給会社などの業界関係者は4700人で、日本からだけでも50人以上。トロントより1週間早いベネチア国際映画祭は、2005年くらいまでは日本の配給会社から20人はいたが、今では出品関係者以外はあまり見なくなった。配給会社ニューセレクトの北神奈津子さんによれば、「欧州の映画セールス会社が、ベネチアではなくトロントに来てくれと言う」。

ユニジャパンのブース=撮影・筆者拡大ユニジャパンのブース=撮影・筆者
 「カンヌやベルリンと違って、映画を売りたい側にはお金がかからなくていい」と教えてくれたのは、日本映画を海外に広める公益財団法人「ユニジャパン」の筆坂健太さん。

 カンヌなどでマーケット上映をするにはお金がかかるが、ここでは選ばれれば多くの配給会社やジャーナリストに見てもらえるし、北米の観客の反応も見ることができるという。

 今回日本からはカンヌに出た『そして父になる』、ロカルノに出た『リアル』、ベネチアに出た『風立ちぬ』、『許されざる者』、『地獄でなぜ悪い』、世界初上映の『R100』などが上映されて、是枝裕和監督や松本人志監督がトロントにやってきた。

 筆坂さんによれば、ユニジャパンが単独でブースを設けたのは初めてという。その下でギャガなど5社が販売窓口を開いていた。出品されていない作品のセールスも許可されているので、非常に便利らしい。

 「是枝裕和監督や黒沢清監督などは ・・・ログインして読む
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筆者

古賀太

古賀太(こが・ふとし) 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

1961年生まれ。国際交流基金勤務後、朝日新聞社の文化事業部企画委員や文化部記者を経て、2009年より日本大学芸術学部映画学科教授。専門は映画史と映画ビジネス。訳書に『魔術師メリエス――映画の世紀を開いたわが祖父の生涯』(マドレーヌ・マルテット=メリエス著、フィルムアート社)、共著に『日本映画史叢書15 日本映画の誕生』(岩本憲児編、森話社)など。個人ブログ「そして、人生も映画も続く」をほぼ毎日更新中。http://images2.cocolog-nifty.com/

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