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美輪明宏の人生は、確信犯的な「賭け」の連続だったのではないか

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

 実を言うと、『美輪明宏ドキュメンタリー~黒蜥蜴を探して~』は、最初は見るのを躊躇していた。届いた試写状で、黄色に染め上げた髪に三宅一生の白のプリーツに毛皮を巻いた、美輪の自信たっぷりな笑顔があったからだ。結局公開が始まってから見に行ったのは、WEBRONZAのT副編集長に促されたから。見てよかった。

美輪明宏=御堂義乗氏撮影 美輪明宏=御堂義乗氏撮影
 なぜよかったかと言うと、まずは彼の美しい10代の写真を始めとして貴重な舞台写真や映像が見られたから。そして美輪のこれまでの人生と芸術が、63分のフィルムに実にコンパクトによくまとまっていて勉強になった。

 さらに、全体の半分を占める美輪へのインタビューを見ていると、その人生が実は周到に計算された、確信犯のような意識的な選択の連続だったことがわかったのが大きな収穫だった。

 彼の10代の写真の一部は公式HPの予告編でも見ることができるが、今はなき銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で17歳で舞台に立った時の写真は、細面の顔に野獣のような目と濃い眉毛が際立っていて、体は折れそうなくらい細い。

 これを見ると、美輪がルックスだけでも際立って格別な存在だったことがよくわかる。

 この映画の監督は、パスカル=アレックス・ヴァンサンというフランスの若手だ。だから、フランスではあまり知られていない美輪の存在を何とか説明しようという配慮が溢れている。

 結果として、1960年代や70年代の文化状況についてよく知らない日本の大半の観客にとっても、実にわかりやすい映画に仕上がっている。

 この映画は、フランス語のナレーションで始まる。そこで監督が美輪を「発見」したのは、1990年代にフランスで封切られた『黒蜥蜴』(69)を見た時で、「なぜアキヒロ」という男性の名前なのか不思議に思ったことが述べられる。この映画で美輪をフランス人向けにわかりやすく説明するのに彼が用いるのは、フランスでも知られている日本の芸術家たちと結びつける手法だ。

 美輪へのインタビューの中から、まずは三島由紀夫の思い出が出てくる。多くの小説が仏訳されているので、フランス人も2人の親しい関係にまず驚くだろう。それから寺山修司、三島由紀夫、横尾忠則、市川崑、増村保造、深作欣二、宮崎駿、北野武といった面々との仕事の話が次々と出てくる。すべてフランスでは著名な存在だが、考えてみたらすべて「鬼才」という表現がぴったりの、相当に個性的な作り手ばかり。

 そのなかで、歌手としての活動を続けながら60年代後半から寺山修司の芝居で主演をしたり、市川、増村、深作らの映画に出演したりする。そして90年代からは宮崎の映画の声優を務めたり、北野武の映画に出る。歌手、舞台俳優、映画俳優、舞台演出家、声優という具合に、身体を使うあらゆる表現の先鋭的な部分に半世紀以上かかわり続けて、今年78歳の今も現役というのがすごい。

 美輪のインタビューを見ていて、だんだん一つのことに気がついた。

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