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“B級映画の王様”、エドガー・G・ウルマー特集が東京・渋谷で開催中!――越境者ウルマーの肖像、そして「B級映画」について

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 “B級映画の王様”、エドガー・G・ウルマー(1904-1972)の10作品を中心に、彼と関わりのあったシネアストらの映画が、東京・シネマヴェーラ渋谷で特集上映されている。いうまでもなく、シネマヴェーラならではの粒よりのラインナップ、しかも日本ではほとんどが未ソフト化の作品とあっては、絶対に見逃せない――。

 ウィーン生まれでユダヤ系のエドガー・G・ウルマーは、『サンライズ』などで知られるサイレント映画の巨匠F・W・ムルナウの弟子であったが、1928年にベルリンでロバート・シオドマークと共同監督で、市民たちの休日の過ごし方をセミ・ドキュメンタリー風に描いた傑作、『日曜日の人々』(今回上映なし)を撮り、その直後に渡米。

 そして1934年、『黒猫』(今回上映)を撮り、ハリウッドにおける監督デビューを果たす。この怪奇映画は、セミ・メジャーともいうべきユニヴァーサルで撮られたが、にもかかわらず、65分で物語を効率よく語り切る話芸ゆえに、すでにウルマーの「B級映画作家」としての稀有な資質が開花しているフィルムだ。

 1939年の『ハーレムにかかる月』(68分、今回上映)は、オール黒人キャストによるメロドラマだが、葛生賢氏も言うように、この時期のウルマーが「マイナー映画」と呼べる映画を撮っていることは興味深い。

 すなわち、1936年から1940年にかけて、彼は「米国内のウクライナ人、ユダヤ人、スペイン人、黒人といったマイノリティ向けの映画を次々に撮」っているのである(葛生賢「エドガー・G・ウルマーのために、あるいはカップルの政治学――Lost&FoundII」)

 いずれにせよ、「マイナー映画」をマイノリティ向けの映画、という狭い定義から、「メジャーではない」映画という定義にまで拡大するならば、ウルマーは本質的に<マイナー>な――むろん才能豊かな――監督だといえる。つまり、『黒猫』のみならず、やはり今回上映される『青ひげ』(1944、70分)、『恐怖のまわり道』(1945、68分)、『奇妙な幻影』(1945、86分)、『遊星Xから来た男』(1951、71分)など、後年ウルマーが中小の独立系プロダクションで撮ることになる、ホラー・怪奇・SF・スリラーといった文字通りの「B級(ジャンル)映画」は、まさしく「マイナー映画」の名にふさわしい必見作である。

 では、映画史的な意味での「B級映画=B movie」とは何か――。

 もともとは、1930年~1950年初頭まで、メジャーの製作会社で2本立て興行がおこなわれていた時期(ハリウッド全盛期)に、メインの作品(A級映画)に対する添え物(併映)用に撮られた低予算の作品群を、「B級映画」と呼んだ。

 そうした2本立て興行時代のB級映画は、多くの場合、大スターが出演することはなく、既成のセットの使い回しや、他のフィルムの一部(ストック・フィルムあるいはフッテージ)が何度も再利用/流用された。すべては――少なくとも製作会社にとっては――低予算早撮りという、流れ作業的な経済効率至上主義のためである。いきおいB級映画は、ウルマーの作品に典型的なように、内容も犯罪もの・ホラー・SFといったお決まりのジャンルだった。

 そして当時のB級映画は、大手メジャーの会社が作るものと、中小の独立系製作会社が作り大手に買い取られるものとに大別できた。後者の製作会社は“貧乏通り”と呼ばれたリパブリック、モノグラムなどである。また、会社にとっては効率至上主義の産物であったB級映画製作が、結果的には新たな才能の鍛錬の場となったことも重要だ。

 なおアメリカでは、1950年代以降(映画産業の衰退期)になると、大手の2本立て興行はほとんど消滅し、それ以後、B級映画は原義から離れて、低予算ジャンル映画の大まかな総称となる。そして1954年、低予算ジャンル映画=B級映画を専門に製作する、アメリカン・リリーシング・カンパニー(のちのアメリカン・インターナショナル)が設立され、“B級カルトの帝王”ロジャー・コーマンらを輩出した(今回の特集では、コーマン監督の『女囚大脱走』<1956、62分>も上映される)。

 ともあれウルマーは、2本立て興行の添え物という意味での――だがしばしばA級=表番組の何倍も面白くハイレベルな――B級映画づくりの第一人者だったが、繰り返せば、彼の作品がスクリーンで10本も見られる今回の特集は、まことに貴重な催しだ。

<付記>
*前述のように、『黒猫』はハリウッドにおけるウルマーの監督デビュー作で、エドガー・アラン・ポーの原作をほとんど跡形もなく改変してしまった物語は、荒唐無稽なのに息もつかせぬ面白さだが、キャスティングがこれまた凄まじい。

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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