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建前論の「公平・中立報道」、法制度で禁止せよ!?――連続討議「ソーシャルメディア社会における情報流通と制度設計」から(8)

情報ネットワーク法学会

 「これまでの公平性を捨てて、立場の表明を義務付けるべきだ」。選挙報道を含め、多くのメディアが公平・中立をうたう中で、その客観性は「うさんくさい」として、討議メンバーから過激な問題提起がなされた。公平性や客観主義を掲げることのメリット、デメリットは何か。そして、新たな規制の対象には、プラットフォーマーや個人は含まれるのか。討議は賛否両論に分かれ、白熱した。(構成・新志有裕)

ネット選挙ではなく、通信放送融合選挙

<藤代>これまで今夏のネット選挙について振り返ってきたわけですが、ここではメディアの公平・中立性と新たな制度について議論したいと思います。

<生貝>政治的公平性の観点から、今回の選挙を単に初の「ネット選挙」としてだけではなく、「通信放送融合選挙」として考えることによって見えてくるものがあると思います。放送法には番組編集準則というのがあり、不偏不党であるとか、政治的に公平であることが放送メディアに求められます。特にNHKに対してはこの要請は強く働きます。

 今回、EXILEのUSAが自民党候補者を応援する写真がネット上に公開されていたため、NHKは急きょEXILEが出ている番組の放送を取りやめるというケースがありました。一方、「赤旗」で共産党を応援した渡辺えりさんの出演ドラマは放送されました。ドラマであるという点と、応援していたのが候補者ではなく政党だったためといった理由が挙げられていましたが、一貫性のある判断の難しさが如実に表れたケースです。

 これまでも著名人が選挙や政治に関わることはありましたが、著名人の政治的背景がネット選挙の解禁によってネットというメディアに顕在化するようになったため、放送メディアとしては政治的公平性に関わる難しい判断を迫られることになったわけです。こういった政治的公平性を残すべきなのかどうか、問い直す必要があると考えます。アメリカにはもともと放送メディアの公平性を定めた「フェアネスドクトリン」というものがありましたが、もう限界だということで1987年に撤廃しており、ネット選挙をしやすい要因の一つになっています。

 アメリカのようにメディアの政治的公平性をやめてしまうのも一つの手ですが、日本の放送メディア産業の特性を考えたとき、やはりNHKのような媒体は中立であってほしいような気もします。特に現在では、ある意味では放送メディアよりも社会的影響力の強い大手のプラットフォーム企業が、世論調査や予測を大規模に行っているわけですから、よく考えなければならない問題だと思います。

<藤代>テレビとネットは法律が分かれていて、一緒に論ずるのが難しいのですが、まずはテレビの公平性に関して意見をお願いします。

<山口>現実的な話をしたいと思います。今回はやりすぎなんじゃないか、と思う人も多いと思うので、自主的にルールを定めるのがいいのではないでしょうか。

<藤代>その場合、どうやって設計するかまで話をしてください。

<西田>メディアをポートフォリオとして考えた方がいいと思います。日本のテレビは現状あまりに視聴者が多く、影響が強すぎますからこのまま従来通りの法律に則る方がいいと思いますが、公選法の文書図画に関係する新聞、雑誌、それからラジオについてはもうちょっと柔軟に考えてみてもよいかもしれない。

 とはいえ日本人は新聞への信頼度が高いので従来通りでよいように思えますが、広告費の額でいうなら、ネットの利活用が自由でいいなら、ラジオや雑誌、もしかしたら新聞も部分的には自由な政治的主張や選挙運動を導入してもよいのかもしれません。ラジオはもしかすると「ながらメディア」で強い影響力はもたないので、好きにしていい、ということも考えられます。雑誌も興味が絞られるメディアなので、自由を与えていい、とかですね。メディアの特性によって考えればいいのではないでしょうか。あくまで試論ですが、ネットだけ見るとおかしな扱いになっています。文書図画全般、つまりメディア全般に目配りする必要があると思います。

<生貝>その通りだと思います。難しいのは放送局などが運営するネットメディアでしょう。数年前の松原懇談会(総務省で2006年に開かれた「通信・放送の在り方に関する懇談会」)で話題にのぼったNHKの「本来業務ではない業務」であるネット業務は、基本的に放送法の対象外です。しかしNHKの公式ウェブが政治的公平性を全く考慮しなくてよいとも思いません。

 そこをどうするか。少なくともヨーロッパは、通信と放送の融合に対応するためにメディアごとの縦割りの規制はやめてしまって、社会的影響力という要素を重視し、ネットの動画も、テレビも一定の基準で同等の規制対象にしています。日本はそれができないまま、ここまできてしまい、今回のネット選挙が実現しました。放送法をどうするかというのが、実はこれからのネット選挙の隠れた重要な争点だと思います。

建前であっても公平性は必要か

<藤代>議論の糸口として、私のアイデアを表明してみます。メディアの稀少性という観点から厳しい規制をテレビに適用していたことは望ましかったと言えますが、ソーシャルメディアの登場でメディアの希少性は失われつつあるのではないでしょうか。東日本大震災ではテレビ局が生放送の再配信を行いました。また、パソコンやスマートフォンでテレビもネットも見られるようになると、ユーザーから見れば、通信なのか放送なのか、区分は分からなくなっていると思います。

 そこで、放送法の政治的な公平性が求められるという努力規定は公共放送であるNHKのみ適用して、他は何をしても構わないという方向転換が望ましいのではないか。なぜかというと、ひとつは客観主義のうさんくささです。公平・中立や客観報道といいながらも、新聞やテレビには特定の政治的スタンスがあります。そして、それを読者もなんとなく分かっています。本音と建前みたいなものをやめて、立場表明をメディアに要求するべきだと思います。どの候補も応援しません、というのでもいいと思います。政治的な公平性とは何か、という難しい議論がありますが、それを捨てるわけです。そして自分たちのスタンスを表明することを法制化すべきではないかと思います。

<西田>絶対に不可能な公平性の要請があることで、メディアの意見が一定程度、予想可能になっていることが非常に重要であると思います。左右どちら向きの報道姿勢か、予測できるというのは、かなり限られた媒体の特性だと思います。社会の基準を整える上で重要な役割を担っているので、変えないほうがいいのではないかと思います。

<一戸>私も西田さんに近い意見です。放送のみ法律に基づいて公平性が求められていますが、基本的には新聞もテレビも、自社の掲げる何らかの公平性の基準があります。立場を表明するという努力義務まではいらないのではないでしょうか。

<山口>受け手の側のリテラシーの問題かもしれません。立場を表明するのは正しいと思いますが、公平だという範囲にとどまる行動が信頼を生むのかもしれません。

<藤代>でもメディアは今のままでは立場を表明しませんよね。だから極論としてメディアが動かざるを得ない状況を作っていくと言っているわけです。他のアイデアがあればぜひ聞いてみたい。

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