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渋谷駅で「大爆発」? 情報拡散の真相――連続討議「ソーシャルメディア社会における情報流通と制度設計」から(9)

情報ネットワーク法学会

 渋谷駅が大爆発・炎上しているかにみえる写真がネット上に流通し、ネットユーザーは疑心暗鬼に陥った。単なるボヤの写真が加工され、説明が不十分なままに拡散されてしまったのだ。Yahoo!Japanの伊藤儀雄氏は、実例を交えながら、情報の伝え手、受け手、そして流通するコンテンツの変化について解説した。(構成:新志有裕)

<藤代>今回はYahoo!Japanの伊藤儀雄さんにプレゼンをしていただきます。よろしくお願いします。

<伊藤>よろしくお願いします。私はYahoo!でニュースの編集に携わっています。Yahoo!のトップページに掲載される13文字の見出しの編集を担当しています。2009年にYahoo!に入社したのですが、それまでは中日新聞で記者をしていました。入社してから丸4年、一貫して「Yahoo!ニュース」の編集に携わっています。

 2009年からの4年間にも相当大きな変化が起きています。例えば、2009年には、ツイッターもフェイスブックもそれほど普及していませんでした。そして、スマートフォンもほとんどありませんでした。こうした大きな変化とともに、この4年間で、たくさんの問題も生じています。今日は具体例をたくさん紹介しながら、課題と論点を提示します。

 まず、前提となる話ですが、現在のメディア環境は、「受け手の変容」、「伝え手の変容」、「コンテンツの変容」の3つが絡み合っています。

 「伝え手の変容」を説明すると、ソーシャルメディアの普及で、発信者が爆発的に増加しました。今までの発信者はプロがほとんどでしたが、プロとアマチュアの垣根が崩壊して、プロだろうがアマだろうが情報発信をしています。そして「分業」が進んでいます。つまり、事象を発見する人、深掘りする人、伝播・拡散する人、とそれぞれ得意分野があって、分業が起きています。こうした伝え手の変容の影響で、受け手のメディアに対する信頼感や捉え方も変わってきています。

 「受け手の変容」というのは、そもそも完成されたコンテンツへの期待が崩れているということです。未完成のものや、編集前のものもコンテンツとして期待されています。まとまってなくていいから早く出せ、という感じで、受け手の期待が変わっています。自らが発信者にもなるため、伝え手との垣根がなくなり、受けた情報をさらに拡散する、つまり友達に伝えることを前提にコンテンツを選んでいる、といった変化が起きています。

 そうした中で、「コンテンツの変容」も起きています。新聞記事のような5W1H(いつ、どこで、何を、誰が、どのように)に基づいたコンパクトなテンプレ記事だけでなく、色々な文体が用いられています。文字だけでなく、写真や動画といった、リッチコンテンツもありますし、ニコニコ動画やUstreamのような動画の生中継も可能です。ツイッターを活用した実況中継のように、生の素材を編集なしで見せるものもあります。さらに、質の多様化が起きていて、事実関係の裏が取れていないものも、噂レベルであっても出すケースが見受けられます。ここ10年ぐらいで、こうした大幅な変化が起きています。

受け手側のリテラシー

事例A:渋谷駅でのボヤ騒ぎ
事例B:サンデー毎日「今週のひと言」
事例C:北朝鮮のミサイル発射

 続いて、具体例の紹介に入っていきます。まずは受け手側のリテラシーの問題です。

渋谷駅でのボヤ騒ぎ渋谷駅でのボヤ騒ぎ
 2013年2月に、東京・渋谷駅でボヤ騒ぎがありました(事例A)。高架下でホームレスの段ボールハウスが燃えて、一時は大きく燃え上がりました。ガスコンロも置いていたため、爆発音もしました。そして、たくさんの人がスマートフォンで写真を撮って、ツイッターに載せたわけですが、その過程で、インスタグラム(写真共有サービス)などを使って、大規模な火事のように見える写真が、「渋谷駅大爆発」、「大炎上」というタイトルをつけられて、ネット上を幅広く流通しました。渋谷にいなかった人たちは、その写真を見て大騒ぎになりました。

 でも実態は、段ボールハウスが燃えて、すぐに鎮火したというだけの騒ぎでした。普通ならマスメディアは取材に行かないし、報じることもありません。ただ、確定情報がマスメディアに出ないことでネットは大混乱になりました。一部には「結局、事故だったのか、テロだったのか、よく分からない」というツイートが流れました。

 また、ニュースで報じないのは、報道規制があるからではないかという憶測も流れて、このまま誰も真相を伝えないと、ずっと事実関係が分からないままになってしまうという状況でした。ようやく単なるボヤだと分かったのは、テレビ局が報じたためです。火事が起きたのが夜の11時半くらいのことで、1、2時間くらいでネット上を情報が拡散して、テレビ局の記事が出たのは明け方の6時くらいでした。

 テレビ局の報道を受けた記事がYahoo!トップに出たのは、翌日10時過ぎぐらいでした。だいぶタイムラグがありますが、ネットの受け手はそれを見たことでようやく安心して、「テロじゃなかった」、「報道規制じゃなかった」というふうに納得しました。

 違う事例(事例B)ですが、「サンデー毎日」という雑誌に、「サンデー時評」というコラムがあります。そのコラムには、本文とは全く関係ない「今週のひと言」というのが毎回ついています。ところが、この「ひと言」だけがウェブ上で拡散したことがありまして、その「ひと言」だけ読めば「突拍子もない捨て台詞だ」ということで、「結局これが言いたかっただけだろ」という反応が広がって、馬鹿にしたような感じで拡散しました。

とあるコラムへの反応とあるコラムへの反応
 そもそもこれは、雑誌の誌面を見れば自明の「本文とは関係ないコーナーですよ」という前提が正しく伝わらないまま、言葉の断片だけが拡散しまった例です。サンデー毎日という雑誌の見え方と、ネットのテキストだけの見え方は違います。そうした違いが理解されず、内容が誤解されたまま、拡散してしまうのです。

 続いてまた別の事例(事例C)ですが、北朝鮮のミサイル発射が2012年12月にありました。その時に、首相官邸が間髪入れずにツイートをして、たくさん広がって、情報提供の仕方としてすごく良かったのですが、今年の4月、北朝鮮がまたミサイル打つのではないかと危機が高まりました。そこで、2012年12月の官邸のツイートをリツイートする人がいて、そのツイートを見た人が、今まさに打ったと勘違いしたため、ものすごい勢いでリツイートされてしまいました。昨年のツイートだと気付く人もいましたが、気付かない人もたくさんいました。

ツイートの時間軸のずれツイートの時間軸のずれ
 このケースは、国民生活に影響を与えるとても重要な情報が誤って伝わる危険性を示しています。もちろん、「昨年12月のツイートだよ」と訂正するツイートもたくさんありましたが、拡散するツイートに比べると非常に少なかったようです。

 これらの事例(A~C)をまとめると、課題としては、ソーシャルメディアを使っている全員が情報の真贋を見極める教育を受けていないので、結果として、デマや不正確な情報、重要ではないことが、さも重要なニュースであるかのように拡散してしまいます。

 論点としては、ソーシャルメディアを使う人のリテラシーはそもそも向上するのかというものがあります。新しいメディアは、まだ普及して何年かしか経っていません。また、子どものころから使っている人が成長したとして、何もしなくてもリテラシーは上がるのでしょうか。それとも、何か積極的に働きかけるとするならば、どう向上させていけばいいのでしょうか。

 そして、デマや不正確な情報であることの訂正をどう広めればいいのでしょうか。デマや不正確な情報は、拡散の発端となる人がいるはずです。その人は、マスメディアに勤めている情報伝達のプロではなく、じゅうぶんに責任を負える立場ではないケースも想定されます。結果として、そうしたアマチュアの個人に対して情報発信の責任を問うことはできるのかという論点もあると思います。

ソーシャルの可能性と既存メディアの役割分担

事例D:PSE問題
事例E:Librahack事件
事例F:北関東に隕石?

 続いて次のセクションですが、ここで取り上げたいのは、ソーシャルの可能性と既存メディアとの役割分担についてです。

 少し前の話題ですが、PSE問題というのがありました(事例D)。これは、電気用品安全法の改正により、PSEマークのない中古電気用品を販売できないという新たな規制を導入するという問題で、ネット上で大きな話題になりました。2006年4月1日に改正施行される予定で、その時点で中古電気用品が売れなくなるという問題が指摘されました。具体的にどういう問題が起きるかというと、ビンテージの楽器とか、アンプとかシンセサイザーが販売できなくなるんじゃないかということです。

 この話題は、音楽ファンを中心に盛り上がり、mixiや2ちゃんねるで話題になりましたが、一般の人たちは知らない状態でした。実は僕は、2006年は中日新聞の整理部にいて、この話題をmixiで知りました。その時は整理記者だったため、自分で記事を書けなかったので、こういう情報があるというのを東京新聞の特報部にメールを送ったら、記事にしてくれました。新聞・テレビの中で初めて、東京新聞が2月12日に報じて、その後、NHKやほかの新聞も後追いしました。そして国会で野党議員が質問して、経産省がビンテージ機材を除外することを発表しました。

 でも、次にはビンテージには何が該当するのかという問題点が残りました。経産省が出した除外リストに重複があるなどの不備があり、批判を受けました。結果的に、法律の解釈を事実上変更することになり、中古家電の販売は可能になりました。ネット上の議論が端緒となって、実際に法律や行政を動かしましたが、2006年の段階では、ネットだけでは難しく、マスメディアが動かないと経産省が動かなかったといえます。

 続いて2010年のLibrahack問題についてです(事例E)。岡崎市立中央図書館のデータベースに大量アクセスを繰り返したとして、愛知県の男性が逮捕されました。ところが逮捕の記事が出てから、ネット上で男性のした行為が妨害なのかどうか、話題になりました。実際には、この男性は起訴猶予になって釈放されたわけですが、釈放後、男性自らが事件の経緯を説明したサイトを立ち上げました。そして、その取材を進めた朝日新聞の神田大介記者が、この逮捕は果たして正しかったのかという問題提起の記事を出しました。神田記者はツイッターをやっていて、この問題に言及している技術者などとやり取りをしている過程を見ることができました。

 この事例はネット上の情報が端緒となって、問題が明らかになり、記事がツイッターを通じて出た形です。その後も、取材の過程や後日談も含めて、すべてツイッター上で可視化されました。これも、ソーシャルメディアの成果といえると思うのですが、一般にはあまり知られておらず、問題の拡散は、特定のリテラシーの高い人たちの間に限定されていました。

 そして今年1月、北関東に隕石が落ちたでのはないか、という話がありました(事例F)。1月20日未明、流れ星を見たという発言がツイッターにたくさん出たのです。その画像のまとめや動画が、すぐ「NAVERまとめ」にアップされました。これは結局何だったのかというのが話題になったのですが、隕石なのか、どうなのか、よく分からないけれど、画像や動画はいっぱいあるという状態でした。公的機関は何も発表していませんでした。ソーシャルメディアがなければ、これまでと同じように、多くの人は大きな音があったけど何だったんだろうね、と何も分からないままだったはずです。

 ところが今回は、NAVERまとめで概要が明らかになり、朝日新聞も、ネット上で投稿されているという注釈を付け加えた上で、動画を撮影した人に話を聞き、アマチュア天文家に取材を加えて、どうやら隕石らしいということを記事にしました。これは、ごく普通の人の断片的ツイートが端緒となって、マスメディアが組織的にソーシャル上の話題を拾うという姿勢が見られた事例です。既存メディアの中でも、このように組織的な動きが出てきています。

 それでは、このセクションのまとめに入ります。課題としては、ソーシャルメディアは、課題の発見や、問題のきっかけを見つける力にはとても優れていると思うのですが、事象が実際なんなのかということを確定させ、裏付けをとるということについてはそこまで強くないと思います。

 他にも色々な事例があって、東京都現代美術館が閉館するという噂がたったことがありましたが、実際に閉館するかどうかはよく分からなくて、東京都庁に問い合わせる人も出ました。「閉館はしない」と東京都は答えました。でも閉館の情報は、もしかしたらまだ表に出せないものなので、都が表立って、オープンにしない裏情報なのではないか、と疑問を抱く人も出ました。そうして結局、誰も本当の意味での確認はできませんでした。

 論点としては、このようにソーシャル上で見つけた課題やきっかけをどうやって深掘りするかというものがあります。さらに、ソーシャルに課題の発見を任せてしまって、取材とか裏付けをメディアが担うという「分業」がうまく仕組み化されるのかどうかというものもあります。新たに発見された問題を実際、どう課題解決につなげていくのか、という課題もあります。

コンテンツは誰のものか?――コンテンツの窃用

事例G:オリジナルよりも「まとめ」
事例H:番組の書き起こし
事例I:SmartNwes
事例J:2chまとめ

 次のセクションは、コンテンツの窃用に関してです。

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