2013年11月16日
ある人気ミュージシャンに聞いたことがあるのだが、「いい曲」「いいメロディー」を書き続けるのは、たとえそれができたとしても、悩み深いものなんだという。いいメロディーの優しい曲って、ライブの対バンが激しいリズムでガガッと押してくるようなバンドだったりすると、食われちゃうこともあるんだ、と。確かに。
ポール・マッカートニーの楽曲も、思えば、長いことそうした見方に苦しめられてきた。
ビートルズの楽曲をとりわけ多く演奏することを事前に報道され、聴衆の期待が高まっている。
ビートルズ時代のポールの曲を、このところ改めて聴き直してる。「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」の超絶名曲。「イエスタデイ」「ブラック・バード」など、宝玉のような小品。「ハロー・グッバイ」「レディー・マドンナ」「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」の、ロックというにはポップ過ぎる(?)曲たち。
そうなのだ。メロディーがよすぎるのだ。事実、ビートルズを解散して出したソロ1作目「マッカートニー」、2作目「ラム」には、そうした評がつきまとった。メロディーに頼りすぎる、と。
売り上げではソロ後も大成功を続けて、天性のメロディーメイカーの面目躍如だった。でも、それだけに、時がうつると、古くさく見えてくる。
70年代末期、ロンドンパンクの嵐が吹き荒れると、ポールは保守的ロックの右代表にされた。なにをのんきなラブソングを歌ってるんだ、おれたちには職がないんだ、食うに困ってんだ、本当のことが聞きたいんだ……。若者の荒れ狂う気持ちと、大金持ちのポールの書く曲は、乖離していった。
ソロに転じたあと、最初は苦戦していたジョン・レノンも、徐々に実力を発揮し始める。「イマジン」「ハッピー・クリスマス(ウォー・イズ・オーバー)」「ジェラス・ガイ」「パワー・トゥ・ザ・ピープル」など、ジョンの最重要曲はむしろビートルズ時代ではなく、ソロ時代にあると認識される。つまり右肩上がり。退歩していない。ポール、いつまでもなにやってんの?と。
パンク以降、売れ線狙いの産業ロックに嫌気がさし、アンダーグラウンドの音楽を追い始めた。エバーグリーンなポップス、メロディーだけでもっている曲、“革新”のないただのラブソングを歌っているポールが、なんというか、「ゆるい」と思うようになってしまったんだ。
全的に誤りを認める。
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