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ポリフォニックなモノローグによるメタ小説――大江健三郎氏の新作『晩年様式集』を読む

小山内伸 評論家・専修大学教授(現代演劇・現代文学)

 大江健三郎氏が4年ぶりとなる長編『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』(講談社)を発表した。東日本大震災「3・11」後の身辺と思索をつづった小説だ。

 『取り替え子(チェンジリング)』(2000年)に始まる家族構成とその名前を引き継ぎ、作家の長江古義人(ちょうこうこぎと)を語り手「私」とする長編の6作目となる。妻の千樫、息子のアカリ、娘の真木、故郷の四国に住む妹のアサら、おなじみの顔ぶれが揃う。そして「おなじみ」なのは顔ぶれだけではないことが明らかになってゆく。

 まず「3・11」を受けた印象深い二つのエピソードが提示される。

 ひとつは、震災後、テレビ報道を見続けていた「私」が、「われわれの生きている間に恢復(かいふく)させることはできない」ことを「われわれの同時代の人間はやってしまった」との思いに圧倒されて、自宅の階段の踊り場で思わず「ウーウー声をあげて泣く」というシーンだ。

 大江氏は初期から、核つまり放射能の危機について持続的に警鐘を鳴らし続けてきた作家である。とりわけ、原爆の被災地を訪ね歩いた『ヒロシマ・ノート』(1965年)はルポルタージュにとどまらず、文明批評の域に達した優れたノンフィクションだ。講演集のタイトルでも掲げたように『核時代の想像力』(70年)を駆使してきた作家なのだ。それだけにフクシマの事態を知って、ついに堰を切ったように落涙する場面には説得力がある。

 もう一つは、息子のアカリが、木綿の肌着をまとって宙に浮かぶ赤ん坊「アグイー」を気にかけて、放射能物質が飛んでくる東京の空で汚染されはしまいかと心配する、というエピソードだ。

 「アグイー」というのは、64年に発表された短編「空の怪物アグイー」(同名の短編集所収)に登場する幻想の怪物のことだ。主人公の音楽家は、脳に障害を持って生まれた胎児を密かに抹殺する。その死んだ子供の化身がアグイーとなって浮遊する。

 同年、大江氏は長編『個人的な体験』で同じテーマを扱い、脳に障害のある子を引き受けるという逆の選択を描く(現実の大江氏がそうしたように)。短編「空の怪物アグイー」と長編『個人的な体験』は裏表をなし、ここに障害を抱えた息子と共生してゆく、その困難を引き受けるという、大江文学の芯となるモチーフが始まるのだ。

 そのアグイーを今、知的障害を抱えたアカリが想像し、放射能の被害に遭わないかとナイーブに懸念する。このイメージは、作者が問題意識において抜き差しならぬ状況に直面している「現在」を提示する。ここに、社会に開かれた誠実な感性を読み取ることができる。

 次に、この小説の構造は珍しいものになっている。巻頭の「前口上」で説明されるが、長年、自らの家族を小説の登場人物として描いてきた作者が、身内の女性3人(妹、妻、娘)から「あなたに一方的な書き方で小説に描かれたことに不満を抱いている」との苦情を受け、彼女らの反論を併記する私家版の雑誌としてこの小説を構成するというものだ。

 従って、これまで自作の小説で記述してきた事柄について、「三人の女たち」が積年の鬱憤を吐露し、それを「私」が容認もしくは反論する、といった展開となる。

 その一方で、出来事らしい出来事はほとんど起きない。唯一のアクションと言えるのは、娘の真木が父親の抑圧から逃れるために、兄のアカリと共に四国の故郷に引っ越すという設定だ。反旗を翻した子供たちの「自立」という展開が新しい(ただし、父親がアメリカの大学に長期滞在したため、息子と娘が二人だけで暮らすさまを娘の視点から描いた『静かな生活』=90年=の例はある)。

 ところで作者に疑問をつきつけるのは、「三人の女たち」だけではない。自殺した義兄の映画監督・伊丹十三をモデルにした吾良(千樫の兄)の恋人だったシマ浦、四国の故郷において「兄」的存在だったギー兄さんの息子ギー・ジュニア、イタリアの女性ジャーナリストまでが、仮借ない質問を突き付ける。

 このうち「ギー」は大江作品において長い由来がある。「ギー」という人物が最初に現れるのは長編『万延元年のフットボール』(67年)で、作者の故郷である四国の森に徴兵忌避者として隠れ住み、狂人と化しているとの造形だった。次に短編「核時代の森の隠遁者」(『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』=69年=所収)では、ギーは森に隠遁しながら古新聞をよく読むことで世界情勢を知り、核の危機に警鐘を鳴らす予言者の風情を帯びる。

 それが78年刊行の書き下ろし長編『懐かしい年への手紙』では、「ギー兄さん」として主要登場人物と化す。四国の森にたたずむ谷間を舞台にした『芽むしり仔撃ち』(58年)、『万延元年のフットボール』、『同時代ゲーム』(79年)などの作品群を小宇宙として統合するキャラクターとして、人生の師匠というべき「ギー兄さん」を造形したのだった。

 『懐かしい年への手紙』ではギー兄さんは村に「根拠地」と呼ばれる共同体を造ろうとするが、やがて反対派の住民と対立し、死体として発見される。その息子でアメリカに暮らしフランス文学を専攻するギー・ジュニアが帰ってきたのだ。そして、彼のインタビュー企画として古義人への質疑応答を記録してゆくという。

 つまり、この小説のかなりの部分は、これまで書かれた作品に対する疑問、読み直し、再解釈、釈明、敷衍といった内容に費やされている。もっぱら自作の小説について言及した「メタ小説」なのだ。長らく大江文学を愛読してきた私のような大江ファンにとっては興味深いポイントがいくつかある。

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筆者

小山内伸

小山内伸(おさない・しん) 評論家・専修大学教授(現代演劇・現代文学)

1959年生まれ。慶応義塾大学文学部卒。ロンドン滞在を経て1989年、朝日新聞社入社。2013年に退社するまで、主に学芸部(現・文化くらし報道部)で文芸・演劇担当を務める。著書に『ミュージカル史』(中央公論新社)、『進化するミュージカル』(論創社)。日本演劇学会会員。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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