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『ユリイカ 総特集・小津安二郎』を読む(上)―-“日本的な巨匠”という小津像を粉砕せよ!

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 「小市民の単調な日常を淡々とスタイリッシュに描き、その反復的描写のうちに<もののあわれ>といった情趣を表す“日本的な”映画監督」――かつて流布されていた小津安二郎(1903-1963)の作家的イメージは、このようなものだった。

 それは、まったくの誤りではないにせよ、おそろしく偏った小津の(そしてむろん彼の作品の)イメージだ。近年、国内外のさまざまな催しや研究や評論によって、小津をめぐるそうしたステレオタイプは完全に覆されたかに思えたが、じつはそうではなかった……。

 このことを、しばらく小津作品から遠ざかっていた私に、如実に気づかせてくれたのが、きわめて充実した『ユリイカ 総特集・小津安二郎――生誕110年/没後50年 <11月臨時増刊号>』だ。

 とりわけ、本誌所収の舩橋淳監督「国際的な分類化に抗うために――小津の視線論」、そして「梱包と野放し――いま、なぜ小津安二郎を語るのか」と題された、映画評論家・蓮實重彦と映画監督・青山真治の対談が、小津を「日本的様式美を映像化した巨匠」といった枠に囲いこんで事足れりとする、いまなお根強い不毛な傾向に異議を唱えていて、とても刺激的だった(もちろん、他の書き手らの、さまざまな観点からの小津論の多くが力作だが、それらのいくつかについては、順を追って触れたい)。

 舩橋淳はまず、小津が他界してから半世紀が経つ今日でもなお、小津作品の視聴環境は劣悪であると指摘する。さらに現在、彼の54本のフィルモグラフィのうち37本しか見られない、というのは映画史の汚点以外の何ものでもなく、ネガ、プリントが現存しない『懺悔の刃』(1927、第1作)などを見ずして小津を物知り顔で語るべきではない、と言う(耳が痛い)。

 また舩橋監督は、小津作品の時間軸上での分類にも反対する。

 すなわちハリウッドの喜劇や犯罪ものの影響を強く受けたサイレント期(1927~1936)、トーキー以後の第2次大戦を挟んだ暗い世相を反映した時期(『風の中の牝鷄』など1936~1948)、そして『晩春』『東京物語』など傑作群を連打した後期(1949~1962)、という分類、さらに“後期”になるに従い小津の作風が研ぎ澄まされ成熟していった、という評価がまったくの誤りであると、鋭く指摘する――「“初期”だろうが、“後期”だろうが、小津作品の輝きは各々別個のものであり、それを分類分けしようとする鄙(ひな)びた感性には断固闘いを挑むべきだろう」。

 そして舩橋淳は、そうした時代別の小津作品の分類を御破算にして、現在見られるサイレント作品から遺作『秋刀魚の味』までを通じて変奏される小津的主題系(食べること、着替えること、並ぶこと、など)が、個々の作品の物語を超えた「説話論的構造(ストーリーの仕組み)」を動かしたり変化させたりする運動の多様なあり方を詳述した蓮實重彦の『監督 小津安二郎』を、「絶対的な金字塔」であると称揚する(まったくその通りだと思う)。

 なお蓮實氏のこの著作は、もっぱら小津作品の「形式」のみを論じていると言われる。が、それは誤解を招く言い方だ。

 というのも、蓮實氏は本書で小津作品を、「形式」すなわち「映画的文体/スタイル」という視点のみから語ってはいないからだ。前述のように蓮實氏は、たとえば「食べること」という主題/内容が、説話論的構造に変化や運動をもたらすという点を最も重視して小津作品を論じているのだ。また蓮實氏は、小津作品に「社会的な現実の反映を認めること」を決して否定するつもりはない、とも書いている。

 舩橋監督の論考はさらに、小津作品の時間軸上の分類を超えたディテールの特徴を、実作者ならではの眼力によって挙げている。たとえば、『母を恋はずや』(サイレント、1934)の母・吉川満子の影に包まれた斜めの後ろ姿の美しさ。そしてサイレント期の小津作品では、人物が正面から向き合う場面で、<顔に影がかかること・視線を反らすこと>の主題が反復され、物語にメリハリをつける。さらに、そうした心理的な痛みに耐える人物の視線演出は、“中期”の『風の中の牝鷄』、“後期”の『秋日和』『彼岸花』にも一貫して見られる(私はその点を見逃していた)、などなど……。

 それにしても、舩橋監督がNHKで撮影中だという

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