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こん棒で殴り合う「言論の荒野」が生まれている――連続討議「ソーシャルメディア社会における情報流通と制度設計」から(11)

情報ネットワーク法学会

リテラシー教育の難しさ

<五十嵐>私は、すべてのインターネット利用者に対するメディアリテラシー教育の不十分さを挙げたいです。今まではメディアで流される情報は、基本的には信用できるものであって、そのまま受け取っていればよかった。しかし、ネットの中で大規模な「井戸端会議」が起こったときに、流れている情報が本当なのかどうなのか、真偽を判断できない人が多いのではないでしょうか。一方的に情報を受け取るだけならいいのですが、受け手が簡単に発信もできるからややこしいことになっています。

<山口>確かに、リテラシー教育は難しくて、どれだけ配慮してケアしても、伝わらない人が残って、取りこぼしが出ます。しかし、ネットでリテラシーがないためにいろいろな問題が起きているとよく言われますが、そこで起こった実被害とはどういうものがあるのでしょうか。もちろん深刻なケースもあるでしょうが、大半のケースは、実際は大したことではなくて、被害が過大評価されているような印象があります。少数の人が騒いでいることが、あたかも大炎上しているように見えているだけで、ネット上に記録は残りますが、ほんの数日もすればほとんど記憶から消えてしまいます。社会全体としては、それほど大きな影響を受けてはいないのではないでしょうか。ソーシャルメディアと、影響力の大きいマスメディアでは、影響力だけでなく被害にも大きな違いがあるはずです。

<西田>私もメディアリテラシーのことが気になっています。ソーシャルメディアには「トリレンマ」とも言うべき、三つの特性があると思っています。まずは、情報収集量を増やしたいという欲望。そして、個人的嗜好を追求したいという欲望。さらに、このような欲望を追求した場合、情報源の多様性は置き去りになってしまうということです。これら三つの欲望は同時に成立しませんが、ソーシャルメディアによってそれぞれが同時に拡張されてしまったのではないでしょうか。

<生貝>いったん問題を矮小化してもよいでしょうか。インターネットにおける「炎上」などの事故は、どうしても起こるものなのです。事故を起こさないように僕たちは法律や規範を作ったり、あるいは個々人のリテラシーを高めようとしたりするのですが、これらはつまり、事故の抑止と発生確率を低下させる努力なんですね。しかし、事故が起こらない社会を前提とすることは現実的でなく、事故が起こった際に救済する仕組みを同時に考える必要があります。

 そのための人類の英知のひとつが、いわゆる保険と呼ばれるものです。病気や事故にあったときのために1000円ずつ出しておいて、有事に備えるというものです。例えば、事実ではない情報に基づいて炎上が起こって個人の人生が台なしになりそうになったら、みんなで出し合っていたお金で大手ポータルサイトのトップページに訂正記事を掲載してもらい、その人の人生を救済するといった方法が考えられます。

<山口>そうした場合、例えば、自分が発信源となってデマが広く伝わってしまう事故や、デマに踊ってしまったことによる事故も含まれうるのではないでしょうか。

<亀松>ネットに流れる情報を「うかつに信じない」という部分は、リテラシー教育で解決できるのではないでしょうか。例えば、あるジャーナリストは「すべての情報を疑え」と言います。メディアが伝える事実について、完全に白、完全に黒というのは実はなかなかない、ということを認識してくれればいいのではないでしょうか。事実というのは案外あいまいなものだし、受け手側の価値判断によってその評価が変わってくるということを認識すればよい。「半信半疑」という状態に慣れましょうということです。

<藤代>そう思いますが、多様な情報を自分で吟味しましょうと言えば言うほど、怪しい情報を信じてしまう人がいます。まず、「マスメディアはウソだ」とレッテルを張る。そして、陰謀論やカルト的な情報を「正しい」と主張する。そうすると、受け手のなかの一定割合で、騙される人が出てきてしまう。伊藤さんは、マスメディアが取り上げないからこそ大変なことになっている、と指摘するユーザーの事例を紹介されていましたが、同じような構造があるのではないでしょうか。多くの人々が半信半疑の状態を作れず、メディアを疑うからこそ不安になっている気がします。

<山口>訓練すれば、リテラシーは向上すると思います。しかし訓練を受けた人でも間違えることはある。つまり、かならず取りこぼしはある。だからこそ、誰かが間違えたとしても、それによる被害は致命的か、実害は軽微ではないか、というのを常に問いたいのです。言ってしまえば、人には誰しも「誤解をする権利」があると思います。誤解している人に面と向かって、「おまえは間違っている!」と問い詰めても、うれしい人はいないでしょう。星占いに実害がないように、実害がないなら信じていてもいい事象もたくさんあります。

<亀松>情報の受け手が誤解することによって生じる実害は、最終的には「自己責任」の部分があると思いますが、問題は、マスメディアやソーシャルメディアによって、何らかの自分に関する情報を「伝えられた側」です。間違った情報が伝えられた場合、受け手には実害がないから問題がない、というわけにはいかないでしょう。

見出し難いインセンティブ

<西田>私が一般の方や学生たちにメディアリテラシーを教えていて困難を感じるのは、

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