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超満員の映画『ハンナ・アーレント』の背景

鷲尾賢也 鷲尾賢也(評論家)

 岩波ホール(東京・神保町)で、10月26日から公開されている映画『ハンナ・アーレント』(12月13日まで)が連日満員の状態である。ホールにとっては、10年に一回というほどの「入り」なのだそうだ。岩波ホールは、すべて当日発売なのだが、午前中にその日の席が埋まってしまう。

 私も見た。おもしろかったのだが、アーレントという政治哲学者についての知識や伝記的な前提をもっていないと、なかなか分かりにくい映画のようにも思えた。それがいま、なぜ、そんなに人気なのだろうか。

 ハンナ・アーレントはドイツ系ユダヤ人。ハイデガーやヤスパースに指導をうけ、ナチス台頭後はアメリカに亡命。多くの大学で講義。主著には『全体主義の起源』(みすず書房)、『人間の条件』(ちくま学芸文庫)、『暗い時代の人々』(ちくま学芸文庫)などがある(編集部注・名前の表記を「アレント」としている本も多い)。それぞれなかなか手ごわい内容である。

 1960年、イスラエルのモサドによって、元親衛隊(SS)で「ユダヤ人問題の最終解決」(ホロコースト)に関与し、数百万の人々を収容所に送り込む指導的立場にいたオットー・アイヒマンが、アルゼンチンで逮捕された。翌年、イェルサレムで「人道への罪」や「戦争犯罪の責任」で、公開の裁判がはじまった。

 アーレントの名が、メディアに取り上げられるようになったのは、それからである。彼女自身が、雑誌「ニューヨーカー」と交渉、裁判を傍聴し、その記録を同誌に掲載した。その報告が『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)である。

 映画は、裁判を取材する時期のアーレントが中心。雑誌での裁判報告は、アメリカのユダヤ人たちを憤慨させた。乱暴に要約すれば、アイヒマンは極悪非道の戦争犯罪人というより、むしろ輸送を担当した凡庸なひとりの人間であったというのだからだ(書名には「悪の陳腐さについての報告」というサブタイトルがついている)。さらに、当時の「ユダヤ人評議会」のナチスへの少なからぬ「協力」があったということを指摘したので、批判のボルテージはさらに高まった。

 映画でも、友人たちとの議論、あるいは同胞からの厳しい視線などが描かれているが、正直、日本人のわたしたちには、意見のニュアンスがなかなか分かりにくい(彼らにはそれぞれ厳しい過去がある)。

 浩瀚なE・ヤング=ブルーエル著『ハンナ・アーレント伝』(晶文社)によれば、アーレントは多彩な友人をもっていたという。彼女を突き動かしていたのは「友情のエロス」。

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