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巨大なレンジで日本の未来をとらえた辻井喬さんの言葉

浅尾大輔(小説家)

 【1】
 私は、晩年の辻井さんと都合5回お会いした。どれも書籍や雑誌の企画にかかわる出会い。舞台は、いつもホテル西洋銀座の一室と決まっていた。

 辻井さんとの年齢差は、半世紀に近い。著名な経営者と詩人・作家の顔を併せもつ大先輩と、当時一冊の著書もなかった私との。あるいは「党」を離れた者と、党にしがみついている者との。

 異なる二人を引き合わせたのは、唯一、日本国憲法への愛情。そこへ2009年という歴史的な時代を共に生きたという「奇跡」が加わる。

 【2】
 辻井さんへの接触が、この時期に集中したのは自民党政権の混乱と閉塞が極まり、国民の投票行動による政権交代が実現したからだ。これは近代日本の政治史上初と言っていい画期的な出来事であり、われわれは過小評価すべきでない。

 辻井さんは、政治家・鳩山由紀夫を首班とする新政権への評価と可能性、そのもとでの護憲勢力を広げる足がかりを探ろうとしていた。

 いま私の手許に遺された2つのテキスト(注1)を読み返す時、辻井さん自身が歩んだ歴史と、彼の感性をくぐり抜けた言葉と思想から日本の行く末を考え抜こうとしていたことがわかる。

 辻井 鳩山新政権で一番感じるのは、やっと政治が動き出したという印象なんですね。「どちらの方向へ?」と訊かれれば、それは、昔風の右のほうへとか左のほうへとかいう平面上での動きではなくて、彼らの言葉の使い方にも現れているように、政治を見ているわれわれの側、有権者の側に投げられて、それがまた政治の側に投げ返されるというような意味で動き出している。つまり、旧政権下の沈滞と停滞状況から動き出した。(「政権交代と左翼のことば」『小説トリッパー』)

 思うに、民主主義の稼働を言っている。

 さらにこの言葉に続く「事業仕分け」の風景を、50年以上続いた自民党政権の功罪の「罪」を白日のもとにさらす作業だと断言しており、われわれは「仕分け」の詳細を絶対に忘れるべきではない。

 対する私は、鳩山首相の所信表明――彼が遊説先の青森で出会った、失業を苦にして自殺した息子の母親の訴えを演説の導入部にした事実を紹介している。この時、辻井さんは「なぜ大新聞が、そういうことをきちんとほめないのか不思議なのです」とのべ、すでに孕まれていた政権崩壊への一因を指摘している。晩年の辻井さんが最も危惧したのは、政治家とメディアの劣化現象だった。

 辻井 そもそもニューヨークタイムズに出た鳩山論文に対して、日本の新聞が「反米的でアメリカは警戒心を強めた」といっせいに書いた。ぼくは実際に読んでみたけれど、全然反米的ではない。ただ「日本は独立国としてアメリカとディスカッションすべきところは徹底的にやって、新しい友好関係をつくろうと思う」と書いてあっただけですよ。(同上)

 すなわち私のような「左翼」を含め、多くの政治家とメディアは鳩山由紀夫に芽生えた「友愛」の具体化と方向性に恐れをなして寄ってたかって「芽むしり仔撃ち」(大江健三郎)をやってのけたのだ。

 こうして再び政権の座に返り咲かせてもらった安倍政権だが、辻井さんが指摘した「劣化」に歯止めはかかっていない。「放射能汚染水は完全にブロックされている」だと? 「特定秘密保護」だと? 「デモはテロと同じ」だと? 「劣化」は加速している。自民党は、従前どおり民主主義の欠片もなく市井の人びとの訴えへの顧慮もない。

 辻井 (「友愛」という)哲学を掲げる政治家が日本で総理になったということは、これは世界から見たら大変化ですよ。政治哲学、あるいは人生論でも世界観でもいいけれども、そういう理念をきちんと掲げた政治家は、戦後はいなかったと思う。(中略)だって麻生太郎さんの世界観って何だったのだろうと思いませんか(笑)。安倍晋三さんも、やはり出てこないでしょう。(同上)

 だから私にとって辻井さんの存在は、轟々たる批判の前に潰(つい)えた鳩山政権の可能性――「裏切られた革命」(トロツキー)へと引き戻す重力となる。アメリカや日本の復古・反動派の恐れを知らなかった「友愛」の思想が、実は、日本国憲法の核心と国民との連帯も知らなかったという笑えない皮肉を噛みしめる時間そのものになるだろう。

 【3】
 辻井さんには、明確な基準があった。

小説「虹の岬」で谷崎潤一郎賞を受賞したころ=1994年8月、東京・麻布の自宅書斎で拡大小説「虹の岬」で谷崎潤一郎賞を受賞したころ=1994年8月、東京・麻布の自宅書斎で
 私の考えでは、どんな思想や言葉も、それが人間の感性をくぐり抜けてきたものを真と呼び、感性と経験に裏付けられていないものを偽とした。

 恐ろしいことだが、鳩山政権下の「言葉の不在」が、沖縄の普天間基地の移設問題にからむ岡田外相、廃止をうたった後期高齢者医療制度を存続させる長妻厚労相、八ツ場ダムの廃止宣言を翻した前原国交相のなかに指摘されている。

 他方、現代を生きる女性に可能性を見ていたのは、彼女たちが家父長的な政治や暮らしに長く耐えてきたがゆえに、それらギラギラした中心地から離れていたからだろう。もちろん家父長制と女性は、辻井さん自身の出自と人生に深くかかわっており、彼の感性と経験を通過して生まれた重要なキーワード。そして戦争という二文字がつなぐ。

 辻井さんの告白によれば、敗戦と天皇の「人間宣言」を前にして ・・・ログインして読む
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